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帰ってきたウルトラマンの美的感覚

僕は著作権法などの知財関連の法律はまじで悪だと思って久しいのですが、そんな風に思い始めたのは創作を始めた頃で、ボカロの暴走Pさんもアンチザファンタスティックガーデンの歌詞で言っていますが「よくできた 着せ替え人形の 細部いじって 自分を主張する 歪んだカタチの器 偽者と知って コレしかないと 自分に嘘をつく」というのを肌感覚で覚えたところからでしょうか。


その後色々あってフランス現代思想にすこしふれる機会があって、「よくできた着せ替え人形説」が研究されて体系化されているのを知ってすごい感銘をうけたのですよね。特に間テクスト性(ハイパーテクスト性)とか作者の死とかはほんと面白いのですけど、そういうのに触れていくとオリジナリティという概念を再考する必要にせまられますし、著作権というのは本当いびつな形をしているし弊害が大きいなぁと思わないわけにはいかなくなってくるのですよね。
 

それはさておき、みんな著作権正しいオリジナリティあるやつがすごいっていいますが、しかし自分のことを思い返してみると、子供の頃ウルトラマン好きだったのですが一番好きだったのは「帰ってきたウルトラマン」だったのですよね。

帰ってきたウルトラマン - Google 検索


帰ってきたウルトラマンって、見た目がウルトラマンほぼそのままで、なんか胸のところのマークが2重になってるくらいの違いしかない感じなのですが、そのまさに「着せ替え人形の細部いじっただけ」な感じが子供の頃の僕にとってはすごくクールに見えたんですよ。だって他のやつらとか、やる気出しすぎてトサカ生えちゃったり角生えちゃったりでなんか大変そうじゃないですか。その点、帰ってきたウルトラマンはオリジナルの細部をすこし変えただけというシンプルさがクールなんですよ。和食もそうじゃないですか、いろいろごちゃごちゃするより素材をそのまま生かした薄い味付けの方が美味しいのです。そしてこれが重要なのですが、帰ってきたウルトラマンはオリジナルのウルトラマンよりもクールなのですよね。
 

まあつまり僕は物心つくくらいの頃からオリジナリティあふれるものよりも、優れたものに+αしてみたものをかっこいいと思っていたようだと最近気が付いたので、生まれながらこれじゃもう今更変わるのはあきらめるしかないですし、そういう着せ替え人形を上手に仕上げたものを好きでいくしかないようです。

でも大変困ったことに、著作権があると、帰ってきたウルトラマンってアウトなのが確定的に明らかじゃないですか。ウルトラセブンはもしかしたらセーフかもしれない。でも帰ってきたウルトラマンはどうみてもあかんのです。でもそれじゃ困ってしまうので著作権なくならんかな、みたいなことを思うのでした。