炎上はだめです

近頃は日大が大炎上しています。

まあたしかにあの監督はかなりやばい感じがしますし、みんなが彼に対して怒るのは無理はないでしょう。ただだからといって、みんなで特定個人をフルボッコにするのは本当よくないです。


これは今回の件に限らず炎上全般についてそう思います。炎上って、炎上が持つ暴力性に無自覚なままに加担している人が多いと思います。


たとえば日大の監督が世紀の大悪人だったとして、彼に犯罪性があった場合にどの程度の罰を与えるのかを決めてよいのは司法ですし、彼が悪人だからといってみんなが好き勝手殴ってよいわけではないというのは多くの人が理解しています。


しかし一方で、物理的に殴りはしないけどネット上で攻撃的な意見を公表するという人はとても多いです。それはなぜかというと、自分の意見というのは一見すると対象に対しての影響力が小さいからです。直接殴ると相手は怪我をするかもしれませんが、誹謗中傷を投げかけるというのは殴るのに比べれば影響力はかなり小さいですし、ましてや自分のSNSなどに個人の意見として投稿する分には相手が直接参照する可能性すらも小さいですし、せいぜいたまたま悪人の目に入って悪人が嫌な思いをして反省でもすりゃいいなってくらいのものです。


特定の人物への中傷を表明するというのは、20年前までであればこのようにほとんど影響力がなかったので自由にやってても別によかったと思います。


しかし現在は20年前とは状況が一変していて、インターネットが普及して個人の意見が可視化されるようになりました。この状態で以前と同じように個人個人が誰かを中傷する意見を自由に発信した場合、特定個人に対して多数の中傷が集中するという現象が起こります。また、人は多数派の意見に流されやすい生き物ですから、いったん中傷が集中し始めると指数関数的に中傷の数が増えていきます。そして、これはSNSの構造的な欠陥ですが、SNSではマジョリティの意見が上位に表示されるので、中傷の数がある規模に達するとこの世の全ての人間が中傷しているように見えてしまいます。


これが炎上ってやつです。


想像するまでもないですが、数万、数百万、あるいは数千万の人から中傷を浴びせられることのダメージは計り知れないものがありますし、実際に人生は大きく狂いますし、場合によってはそれで命を落とすこともあるでしょう。



今では不倫やらパワハラやらと悪人に対する炎上は日常的に起こってますが、ここには矛盾があります。


悪人を好き勝手殴ることはいけないことだとみんな理解しているにも関わらず、炎上というそれ以上の暴力を加えることには躊躇がないのです。みなさんの素人パンチではそこまで大した怪我にはならないですが、それでも皆いけないと思ってやらない。一方で人生崩壊する可能性もある炎上は平気でやるのです。



この矛盾の存在が、どのような場合であっても炎上自体が批判されるべきである理由です。


悪人を好き勝手殴ってもいいとみんなが思っているのであれば炎上は許容出来ます。しかしそうではなく、悪人だからといって殴ったりするのは良くないが炎上させるのはOKという論理破綻を抱えているのであれば、そこには炎上の暴力性に対する無自覚が存在し、意図せずして悪人に対して暴力をふるっているということになります。


悪人に対する私的な暴力が良くないという前提に立つのであれば、炎上の良し悪しについては議論する必要もありません。悪人を好き勝手殴るのが倫理的にNGな以上は、同じ論理で炎上もNGということになるのです。


だから、必要なのは炎上の暴力性に対する無自覚さを解消する教育なんだと思います。


まあ日大の件については他にも問題があって、相手が否認している以上はまだ悪人と決まったわけではないのです(特に初期段階では)。公平な裁きを下すためには当然否認している側の意見も聞き入れて事実確認をする必要があるのですが、それを「言い訳するな」で片付けてしまっているのは、感情だけで事実を決め打ちしてしまっていて本当によくないなと思いますね。



以上です。