シェフ

シェフ 三ツ星フードトラック始めました (字幕版)

シェフ 三ツ星フードトラック始めました (字幕版)

  • 発売日: 2015/05/13
  • メディア: Prime Video


2014年制作の映画。SNSの隆盛期である。主人公は一流レストランの料理長で、あのアイアンマンの監督ジョン・ファヴローが監督兼主演をしている。


物語はツイッターで人気のレストランレビュアーアカウントに主人公の料理が酷評されるところから始まる。その酷評レビューを見るためにツイッターに初めて触った主人公は、ツイッターによくある「死ねあほ」的なリプライを送り、その時はすっきりする。ところがそのツイートが瞬く間に拡散してしまい、大炎上してしまい、ついにはレストランを解雇される。失業してしまい大炎上したため再就職も難しい主人公は、元妻の薦めるがままにフードトラックでの移動販売を始める。


そんなお話。この映画はとにかく料理愛に溢れていて、出てくる料理が全てめちゃくちゃ美味しそう。美味い料理は世界を平和にするというのを感じる。僕も明日はホットサンドを作って食べようと思う。


僕は一時期は毎週末誰かとサシで飲みに行くという生活をしていたことがあって、そこで確信したのは、僕みたいなコミュニケーション下手でも美味しい料理とお酒があれば誰とでも楽しい時間を過ごせるということだ。美味しい料理を共有することほど強固な連帯はない。僕が最近流行のZoom飲みというやつに興味が持てないのは、料理の共有が出来ないからだろう。


コロナコロナで大変な世の中だけど、この映画の美味しい料理を観ると少しだけハッピーな気分になれる。


そして全ての飲食店にエールを送りたい。自粛が解除されたら、防疫意識を持ちつつがんがん食べ歩こうと思う。

アイリッシュマン

アイリッシュマンというマフィア映画を観た。面白かった。ややネタバレあり。

www.netflix.com


1950年代~70年代のアメリカのマフィア界を舞台にした話。トラックの運転手をしていた主人公が、ジミーホッファーというこの時代に実在した超大物の側近になって、あれやこれやの暗い活動をしていくというストーリー。3時間半程度の長編映画だが、全編通してスリリングな銃撃戦や暗殺シーンといったものはなく、物語は淡々と語られていく。


この映画は3時間半のうちの3時間くらいはマフィアでの様々な活動が描かれている。組織の中で政治争いをしたり、超大物人物を殺したり。しかし、この物語の特筆すべきところは、1980年代以降のこと、マフィアだった主人公の老後が描かれていることだ。


一人で動けなくなり介護施設で暮らしている年老いた主人公。当時のマフィアの関係者たちはみな年をとって死んでしまった世界。主人公は自分の世話をしてくれる若い介護士に、自分が殺した超大物の写真を見せる。この超大物のことを若い介護士は知らない。たった10年20年たつだけで、自分たちが起こして世間を騒がせた大事件は何もかもが忘れ去られている。その虚無感。


この映画が3時間半という長尺になっていること自体もおそらく演出になっていて、視聴者もその虚しさを共感する。3時間延々と見せられてきた様々なマフィアのドラマ、最後の最後に唐突にそれらの何もかもが忘れ去られ無価値になった世界に場面転換する。この3時間半見てきたものはなんだったのか、と。それは人生の最後に感じる事なのかもしれない。そういうことを考えさせられる映画だった。

夜は短し歩けよ乙女

こちら、2006年に出版された小説。および、それを原作とした2017年公開のアニメーション映画。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

kurokaminootome.com


昨今のこんなご時世だから、映画を見返してみた。


黒髪の女の子が、夜の街で酒を飲みまくり、古本市で本を買い、学園祭で演劇に飛び入り出演、という感じで夜の街の三密空間を渡り歩く物語。そして恋する主人公が黒髪の女の子を追いかけて少しずれた三密空間を渡り歩く。


三密が禁止された世の中になった今からみるとなかなか思うところがある。三密というのは文化そのものだと言ってもいいと思える。そして、色々な三密を部外者として観光する黒髪の女の子。


まあコロナ禍がこの先どうなるのかはよく分からないけど、話題の「新しい生活様式」を考える際には、三密や観光を大切を文化として捉えるという視点もあるといいのかなと思う。


ところで、この物語は全て一夜に起こった出来事であるのだが、夜が深まると共に三密空間だらけの街に風邪が流行して街から人がいなくなる。最初に風邪をひいて孤独に寝込んでいたおじいちゃん。そんなおじいちゃんをお見舞いした黒髪の女の子は、おじいちゃんの風邪が街中に広がっているということはおじいちゃんに人の縁があるということなのだ、と言って元気づける。


つまり「風邪」は「縁」のメタファーになっている。風邪の広がりを必死に食い止めようとしているコロナの世界で、それをどう考えるかも難しい話である。

キトリの音楽会 / Kitri

今年に入ってからKitriという人たちにすっかりハマってしまった。Spotifyでランダムに流し聴きしてたらKitriの曲が流れてきて、なにこれめっちゃいいとなったのがきっかけ。

www.kitriofficial.com


Kitriは姉妹2人の弾き語りユニットで、一台のピアノを姉妹で連弾しながら歌うという一風変わった演奏スタイルが特徴。作詞作曲も自分たちで行っていて、ノスタルジックでかつ先鋭的な面ももつ素敵な楽曲がたくさんある。それが姉妹の綺麗な歌声のハーモニーとピアノの連弾の音色で演奏されていてかっこいい。


そんなKitriは今年の一月にファーストアルバムをリリースして、それに合わせて丁度今頃の時期にツアーも予定されていたのだが、新コロちゃんが猛威をふるっているので残念ながら全公演中止になってしまった。


その代わりといってはあれだが、去年行ったツアーのライブ映像がYoutubeにアップされている。

www.youtube.com


Kitriのライブの様子はこれで初めて見たのだけど、これがまたかっこよくてますます好きになった。特に「矛盾律」は2人の歌声のハーモニーがとても美しいのと、ピアノ連弾という自分たちのスタイルに捉われずに色々な楽器にチャレンジしているのとで、ほんと大好き。


引きこもりなGWのお供にはキトリの音楽会が良い感じ。

10年後の仕事図鑑 / 堀江貴文・落合陽一

ホリエモンと落合陽一の共著。インターネットの普及とAIの爆発的進化により急速に進む労働環境の変化についての本。

10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑


AIやロボット工学の発達により、多くの職業は機械で代替可能になる。最終的にはコストの問題で、人がやった方が効率がよければ人がやるし、機械がやった方が効率がよければ機械がやるようになっていく。また、インターネットの普及により誰でも無数の知識に簡単にアクセス出来るようになった今の時代では、”学校教育”というものも本質的に変わっていくだろう。


本著では様々な職業についてのこれからの予測が1つのテーマになっている。とはいっても、本著中でホリエモンが述べているように、未来は予測不可能なので個別具体的な職業についてどうなるかというのは手相占いのようなもので当てにはならない。しかし激動の時代であることはたしかであり、本著のもう1つのテーマが、激動な時代にどのようなスタンスで生きていくべきかである。


それほど読むのが大変な本ではないので細かいことは置いとくとして、ホリエモンの言っていることは一貫してとてもシンプルで「今を全力で生きる」である。未来の事も過去の事も考える必要はなく、今楽しいことを全力でやろうということだ。


これはニーチェの思想と似ている。絶対善も絶対悪もなく、永劫回帰する本質的に無意味なこの世界で、今この瞬間を全力で肯定して生きていくことが大切である。

ウェブはバカと暇人のもの

今読みたい古典。


この本が出版されて以降の世界、「炎上」など、ネットにいる暇人が大挙する事でリアル社会に与える悪影響はここ10年よく取り沙汰されており、実社会へのその影響力は徐々に大きくなってきた。


今回のコロナ禍では、ネットはもはや社会へ悪影響をばら撒くだけのものになっているように見える。


この規模で(2ch的な意味での)「祭り」をしていてはまずい。


ここにいるのはただの暇な人たちである。「だがそれがいい」のであるが、さりとてそれ以上でもそれ以下でもない。

新型コロナウイルスについての所感3

つらつらと。


新規感染者数とかについて

自粛の効果のおかげか新型コロナウイルスは感染者数の爆発的増加には至っていない。東京都は相変わらず高い陽性率を保っているが、お近くの埼玉県では効果があがっていて特に発症日ベースで見ると感染者数の増加は明らかにピークアウトしているという報告もある。


ところで、最も重要なのは医療リソースが足りるかどうかで、感染者数というのはその因子にすぎず、日によってばらつきもあるので一喜一憂しないのがいいだろう。


4月下旬で死亡者数が指数関数的な増加を始めるのかは不謹慎ではあるが注目してしまうポイントだろう。BCG仮説などの通り何か見えない力で死亡者数が抑制されるようなら、日本人としてはずいぶん安心であるが、僕としては懐疑的である。



政府からの給付金について

30万円配るとか、いや10万円配るとかが話題だが、そもそも一律の給付金は目的が不明である。経済的な影響が直撃している人にとっては10万円では今月の生活費にもならないし、消費喚起という点では、いま打撃を受けている業界は消費者にお金がないから消費に回らないのではなく、ウイルス回避のために消費を避けているのだ。そこに対してお金を配るというのは、「金を使うな」という命令と「金を使え」という命令を同時に出しているようなもので矛盾している。


そのお金はこれから激増が予想される生活保護や失業保険の財源にまわすのがいいだろう。まあもっとも、日本では「財源」という概念自体がずいぶん捻じ曲がっているので、多くの人がお金なんてその気になれば無限に生み出せると思っていそうではある。実際そうなのかもれいないし、そうじゃないのかもしれない。


ウィズコロナ

収束しない世界で新しい社会の形を目指すというのは魅力的な提案だが、現実ではウィズコロナの世界はとても厳しい。

mainichi.jp


これは本当に信じられない事件である。


国内ですら地域差別が起こっているのだから、外国人には本当に厳しい世界になるだろう。ウィズコロナとは観光客不在の世界である。そして観光客というのは世界平和の象徴である。観光客とお金と商品とが世界中を血液のように循環するグローバリゼーションの世界では大きな戦争は起きないだろうと思っていたが、それがどういう動きになっていくのだろうか。僕がオリンピックに基本的に賛成なのは多くの観光客の循環を生み出すからだが、2021だか2022だかにオリンピックが開催出来るかはかなり難しい状況ではある。


差別の観点でもう一つ大きな気がかりは、感染済みの人と未感染の人とで社会的な立場が大きく変わるという懸念だ。感染済みの人には自由に移動する許可を与えて経済を回してもらおうなんていう話もちらほら目にするが、そんなことはとても許されない差別であり、もし実施されたら特に若者は我先に感染したがるだろう。


まあ、とりあえず夏になったら全部解決するというワンチャンねらっていこ。


ウィズコロナで人々が日陰で暮らす陰鬱な世界になるのならそれはそれで面白そうではあるのだが、実際にウィズコロナで失われるのはこの社会の日陰の部分であり、移動の自由が制限され人々が道徳と規範とに支配された、より明るい昼の世界になりそうだ。


一番忘れがちで最も重要なことは、新コロちゃんに全員が感染したとしても(少なくとも若年層は)圧倒的に多くの人が生き残るという現実だ。