誹謗中傷をやめるというのは
テラハの出演者が亡くなったというニュースがあり、おそらく誹謗中傷を受けたことを原因とする自殺だろうとして広がっている。
これをうけて誹謗中傷なんてやめようという言説が有名人を中心にして広がっている。これで誹謗中傷がなくなるのならいいのだけれど、実際のところ何も変わらないだろう。
自死遺族を侮辱したコウカズヤの擁護発言を皆さん忘れてないですよ。妊活詐欺疑惑等、あなたの言葉で傷ついた大勢の方に目を向け自分自身の発言や態度を改めるべきです。はあちゅうさんの場合、誹謗中傷ではなく発言への批判ですから、警察の方も動きようがありませんね。
— なお (@Ah2Ei) 2020年5月23日
誹謗中傷と批判は違うという話は強い。もちろん悪いことがあれば批判は必要だろう。しかしこの2つがどう違うかというのはなかなか難しい問題だ。木村さんに対する誹謗中傷も批判のつもりだったのかもしれない。
僕はポストモダン好きなので、基本的には、物事の意味というのは作者の意図ではなく読者の解釈で成り立っていると考えている。それはこの件でも同じで、批判者の意図ではなく被批判者の解釈が重要なのだ。相手が誹謗中傷だと感じたならばそれは誹謗中傷なのである。
つまり批判が必要であるとする以上は原理的に誹謗中傷は無くならない。それが批判なのか誹謗中傷なのかは受け取る側の解釈だからだ。
ならばせめて、批判が誹謗中傷と受け取られないように努力をする必要があるだろう。それには礼儀をもつことだ大切だ。それは単に敬語を使えばいいというものではない。相手に最低限の敬意をもち、相手にとって失礼にならないように気を付けるという、元来はコミュニケーションの大前提だったはずの何かである。
お家のギターシステムを考える
コロナが来てからというものひたすら家でギターを弾いている。今まではギターをそこまで弾いてなかったし、コンパクトエフェクターを直列に並べて弾いてたのだけれど、ずっと弾いてるともうちょっと快適にしたいと思うようになってきた。なのでコロナの定額給付金を元手にお家のギターシステムを刷新しようと思う。
マルチエフェクター案
マルチエフェクターが1つあればだいたいなんでも出来る。まず候補になったのはBOSSのGT1000。BOSS/GT-1000 Guitar Effects Processor ボス マルチエフェクター
- メディア: エレクトロニクス
GT1000はなかなか評判もいい。お値段は10万円くらい。多数のエフェクトが内蔵されているし、プリアンプの質も前モデルに比べて大きく向上したようだ。ただ、これを買ってしまうとおそらくもう全てをこれでやることになりそう。センド/リターンが2系統なので、せいぜいプラスαで歪み系エフェクターを繋げるのが精いっぱいだろうか。そうするとエフェクター収集の楽しみがなくなってしまいそうだ。
そこで次の候補はLine6のHelixだ。
これはマルチエフェクターなのになんとセンド/リターンが4系統もついている。なのでかなり色々出来そう。ただ、お値段が20万円する。センド/リターンを2個増やすためだけに+10万円払うのはさすがにコスパを考えてしまう。
スイッチャー案
マルチエフェクターがいまいちしっくりこないので、スイッチャーを買ってコンパクトエフェクターをたくさん繋げるのが良いのではないかと考えた。BOSS ボス Effects Switching System スイッチャー ES-8
- 発売日: 2015/05/28
- メディア: エレクトロニクス
BOSSのES8。驚愕の8系統のセンド/リターン。もうこれ買っておけば間違いない感しかなくってきた。
スイッチャーに何をどう繋げるか。理想を考えてみた。
これでまだあと2個もさせる!うーん、いくらかかるんだこれ、、
ディレイの候補
ラルクアンシエルKenのやつもよさそう。
モジュレーション系マルチの候補
[国内正規品]Strymon:MOBIUS(メビウス/モジュレーション・マシーン)
- メディア: エレクトロニクス
最強のふたり
2011年公開のフランス映画。事故で全身不随になったお金持ちの人と、その世話係として雇われたヤンキーと、2人の友情を描く作品。実話が元になっているらしい。
全身不随者とその介護の物語と聞くと暗く思えるが、観ているとめちゃハッピーな気分になれるイカした映画だ。
もともとクラシック音楽や演劇など品の高いものを好むお金持ちのおっちゃんが、ヤンキーの影響を受けてどんどん素行不良になっていく。逆にヤンキーのあんちゃんは、お金持ちのおっちゃんの影響を受けて教養を身につけていく。
これは批評家の東浩紀さんがよくキーワードにしている「誤配」で、本来出会わないもの同士が何かの拍子に出会うと、何かよく分からないことが起こる。このよく分からないことを大切にする。お金持ちのおっちゃんはその世界にいたままでは自らの状況に悲観したままだったし、ヤンキーのあんちゃんもその世界にいたままでは将来の展望の全くない荒れた生活のままだった。でもその2人が出会うとイカしたことが起こる。
僕はちょこちょこヤンキーとオタクの話をするのだけど、この2つはどっちが良いとか悪いとかという話になりがちだけど、そうではなくてこの2つが交わることが一番大切なんだと思っている。たとえばネット上では渋谷ハロウィンへの批判が大きいが、そうではなくためしに見物に行ってみると、よく分からないことが起こるかもしれない。そしてそれは人生を一変させるような出来事なのかもしれない。
ダイエットをする
僕はもともと週3出勤で2日は在宅だったのだけど、それでも週3日の出勤がなくなるというのは大変なことで、運動不足ここに極まれりな感じになっている。
ということでダイエットをしようと思う。方法はいたってシンプルであり緩い感じで、夕ご飯に炭水化物をとらない作戦である。
せっかくなのでダイエットアプリをインストールしてみた。
このアプリはなかなか頑張っていて、ご飯を写真に取ると、画像認識と膨大な料理DBとを駆使してその食事の栄養素を解析してくれたりする。まあ精度はぼちぼちというところだけど、やりたいことは便利である。
それでまあ目標摂取カロリーとかがあるわけなのだけれど、僕のような1日2食生活だとカロリーをクリアするのは非常に容易く、夕ご飯から炭水化物を抜くだけで他はかなりがっつり食べても大丈夫なのである。特に野菜スープを大量に作って何日もかけて食べるというのは非常におすすめな方法で、食事の微妙な物足りなさからくる「もう一品」を野菜スープ増量(カロリーはとても低い)という形で乗り越えることが出来る。
あとダイエットにおすすめなのはセブンイレブンの鳥胸肉のサラダだ。美味しいしカロリーも低いしバランスも良い。
ということで初めて4日目くらいなのだけど、すでに-1.5kgで78.5kgくらいになっている。73kgくらいまでいくと標準体重よりちょっとだけ下くらいになるので、とりあえずそこを目指すのである。よく高校卒業時の体重がベストと言うのだけれど、それだと66kgくらいでかなり痩せ型になるので、そこを目指すかはまたその後の話になる。
機動戦士ガンダム
めちゃくちゃ久しぶりにファーストガンダムを観た。
1979年放映の国民的アニメ。ところがテレビ放映当初は視聴率がまったくふるわず、実は打ち切りの形で終了している。ところが物語が終盤になるにつれて人気が出始める。宇宙世紀シリーズは物語の中盤は比較的地味な展開が多く、終盤になって大規模宇宙戦闘に入っていくあたりで激アツになるのでなるほどと思う。
このあたりの経緯はWikipediaなどをみると面白い。
機動戦士ガンダムの宇宙世紀シリーズは戦争がテーマであり、特にロボットアニメであるわりに兵器のリアルさが特徴で、神秘的な力のようなものはほとんど存在せず、モビルスーツやスペースコロニーなどサイバーパンク的な想像力の範疇で作られている。平成以降のガンダムでは兵器のリアリティをある程度捨てた部分があるので、宇宙世紀シリーズでしか味わえない戦争のリアルさがある。
昭和のサブカルチャーは時代的に第二次世界大戦を参照しているものが多い。ファーストガンダムはこれが特に顕著で、大戦時の模様がダイレクトに描かれている。まず太平洋戦争の最大の特徴であった戦艦同士の艦隊戦が戦闘のベースになっているし、特攻隊なども出てくる。ジオン軍の破れ方は日本の敗戦の仕方を踏襲している。物語最終盤の決戦では、正規パイロットの多くを失い学徒動員して回しているジオン軍のモビルスーツは、性能の劣る連邦軍のモビルスーツになすすべなく撃墜されていく。
第二次世界大戦を数多く参照しているリアリティのある戦争描写がファーストガンダムの大きな見どころだろう。
あと、今回宇宙世紀シリーズを見返して特に印象に残ったのは「先に出会った」というフレーズである。なんで戦争なんてするんだという問いかけに、ララァ・スンは「アムロより先にシャアに出会ったのだからしょうがない」というし、サラ・ザビアロフは「カミーユより先にシロッコに出会ったのだからしょうがない」という。
「先に出会った」というのは党派的な闘争の1つの本質であるように思う。しかし彼女たちが聡明なのは「先に出会ったのだからしょうがない」という自らに対するメタ視点を党派性と同時に持ち合わせていることであり、この視点はこの先重要なもののように思う。党派性を持っていることは自然なことだが、しかしそれは単に「先に出会ったからしょうがない」ものなのである。
シェフ
2014年制作の映画。SNSの隆盛期である。主人公は一流レストランの料理長で、あのアイアンマンの監督ジョン・ファヴローが監督兼主演をしている。
物語はツイッターで人気のレストランレビュアーアカウントに主人公の料理が酷評されるところから始まる。その酷評レビューを見るためにツイッターに初めて触った主人公は、ツイッターによくある「死ねあほ」的なリプライを送り、その時はすっきりする。ところがそのツイートが瞬く間に拡散してしまい、大炎上してしまい、ついにはレストランを解雇される。失業してしまい大炎上したため再就職も難しい主人公は、元妻の薦めるがままにフードトラックでの移動販売を始める。
そんなお話。この映画はとにかく料理愛に溢れていて、出てくる料理が全てめちゃくちゃ美味しそう。美味い料理は世界を平和にするというのを感じる。僕も明日はホットサンドを作って食べようと思う。
僕は一時期は毎週末誰かとサシで飲みに行くという生活をしていたことがあって、そこで確信したのは、僕みたいなコミュニケーション下手でも美味しい料理とお酒があれば誰とでも楽しい時間を過ごせるということだ。美味しい料理を共有することほど強固な連帯はない。僕が最近流行のZoom飲みというやつに興味が持てないのは、料理の共有が出来ないからだろう。
コロナコロナで大変な世の中だけど、この映画の美味しい料理を観ると少しだけハッピーな気分になれる。
そして全ての飲食店にエールを送りたい。自粛が解除されたら、防疫意識を持ちつつがんがん食べ歩こうと思う。
アイリッシュマン
アイリッシュマンというマフィア映画を観た。面白かった。ややネタバレあり。
1950年代~70年代のアメリカのマフィア界を舞台にした話。トラックの運転手をしていた主人公が、ジミーホッファーというこの時代に実在した超大物の側近になって、あれやこれやの暗い活動をしていくというストーリー。3時間半程度の長編映画だが、全編通してスリリングな銃撃戦や暗殺シーンといったものはなく、物語は淡々と語られていく。
この映画は3時間半のうちの3時間くらいはマフィアでの様々な活動が描かれている。組織の中で政治争いをしたり、超大物人物を殺したり。しかし、この物語の特筆すべきところは、1980年代以降のこと、マフィアだった主人公の老後が描かれていることだ。
一人で動けなくなり介護施設で暮らしている年老いた主人公。当時のマフィアの関係者たちはみな年をとって死んでしまった世界。主人公は自分の世話をしてくれる若い介護士に、自分が殺した超大物の写真を見せる。この超大物のことを若い介護士は知らない。たった10年20年たつだけで、自分たちが起こして世間を騒がせた大事件は何もかもが忘れ去られている。その虚無感。
この映画が3時間半という長尺になっていること自体もおそらく演出になっていて、視聴者もその虚しさを共感する。3時間延々と見せられてきた様々なマフィアのドラマ、最後の最後に唐突にそれらの何もかもが忘れ去られ無価値になった世界に場面転換する。この3時間半見てきたものはなんだったのか、と。それは人生の最後に感じる事なのかもしれない。そういうことを考えさせられる映画だった。