高学歴の就活に目を付けられると大変なことになる

niconico(く)の発表会をみていて、おぼろげながらタイトルのようなことを考えた。特に2010~2013年ころはドワンゴは日本を代表する企業だったので、特に企画運営側に新卒高学歴の人がたくさん流入してきているんじゃないだろうか?、と。

まあドワンゴに関しては妄想ですが、高学歴問題はある種の構造的問題ではあると思うので、思ったことは書いておこう。


本題

高学歴の人が優秀な社会人になれるかどうかは、それまで学んできた教養を生かせる仕事かどうか次第である。

僕の今の同僚には東大京大卒の人達も多いのだけれど、一応仕事としては専門職だから学校で学んできた知識をそのまま業務に活かしやすい。そのため彼らは概ね非常に優秀である。

しかし、例えば彼らがコンビニのアルバイトを始めたとすると、理系の研究室にこもって生活してきた彼らの中には非常に無能そうな人たちがごろごろいる。

コンビニで店員をやるのであれば、データサイエンスの知識よりも、手先の器用さだとか人当たりの良さだとか整理整頓の上手さだとかを採用基準にしなければならない。コンビニで店員をやるならば東大卒というのは実質的には何の意味も持たないが、ここで問題になるのが高学歴のブランド力である。これが採用担当者の目を曇らせてしまう。


ドワンゴを例にする。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったドワンゴにはそれなりに高学歴の応募があったと思われる。例えばドワンゴの新卒求人に対する応募が3件あったとして、その3人の学歴がそれぞれ「早稲田、Fラン、Fラン」であったとする。よほどとがった採用担当者でもなければ、この中から一人を採用しようという場合には早稲田の学生を採用するだろう。普通に。


本来であれば応募者の職種に対する能力が高いかどうかを吟味する必要がある。今の状況に照らして考えるなら、例えばユーザーが盛り上がるコンテンツを企画出来るかどうかとか。しかしこの能力を見極めるのはなかなか難しいので採用担当者が非常に頭を使うことになる。専門職は比較的採用基準が分かりやすいが、企画運営とかになってくるとこの能力を計るのは非常に難しい。

そんな途方にくれた採用担当者の前に差し出されるのが学歴という甘い罠だ。


仮に「ユーザーが盛り上がるコンテンツを企画出来る能力」が学歴と相関がないとすると、3人の中から最も高学歴な早稲田を選択するというのは、採用担当者が何も考えずにあみだくじで採用を決めているのと同じである。

そんなあみだくじ採用が積もり積もると、みんなに期待されている新バージョン発表会で変なミニゲームを発表しちゃう会社が出来上がるのである。


以上です。