ヤンキーたちの行方

ずいぶん前から薄々思っていたけど、インターネットはヤンキーたちに優しくない。

破壊と創造はセットだ。シヴァ神は一人で全部やっちゃういけど、人は個々の能力が小さいので破壊する人と創造する人と現状維持する人との役割が分けられて、集団として1つの生態系が出来ている。SNSの普及によってその一方が強烈に締め付けられているのではないか。

SNSが爆発的に普及した2010ころ、ヤンキーたちも狼煙を上げていた。冷蔵庫に入ったりしてたやつだ。しかしそれらは結局倫理の名のもとに制圧されて今ではすっかりそういう話は聞かなくなった。人のもっている本能がたった数年で根本から変わるわけもないので、彼らの心はどこか抑圧されて承認欲求が満たされないままくすぶっているんだろうなとここ数年感じていた。


というのが、この世界的なハロウィン騒動の背景なんだと思う。
www.huffingtonpost.jp
www3.nhk.or.jp


この騒動をまた抑圧という方法で解決するのか、はたまたいい落としどころを見つけるのか、政治的判断が問われるところだ。


アメリカのトランプ大統領が当選した背景も、経済的背景というよりもむしろ承認の問題が大きくて、あれ全体をヤンキーの反乱と見ることが出来る。トランプ支持者はよく言われる経済的理由よりも深層心理的にはむしろインターネットの破壊を志しているのではないか。経済的に見るとトランプ政策は非合理だらけで支持者はアホとかよく言われているが、アンチインターネットそのものが目的だと考えるとずいぶんとしっくりくる。


なので、渋谷のハロウィンにどう対応するのかというところは、けっこうこの国を左右する重要な問題なのかもしれない。抑圧しても彼らの衝動が消えるわけではなく、トランプ政権誕生のようによりクリティカルで致命的な形で発露してくる可能性が高い。


SNSの普及により「汝の信条が普遍的法則となることを、その信条を通して汝が同時に意欲できる、という信条に従ってのみ行為せよ」というカントの義務論が亡霊のように復活してきたとは、東浩紀さんの言葉だ。要するに「みんながやると困ることはやるな」っていう話で、SNS上ではこの倫理観がとても蔓延しているのですが、「みんながやると困るけど、みんながやらなければ大して困らない」ことがこの世界にはたくさんあって、そういうものをある程度解放してあげるのが重要だと思う。ただ、SNSでは仕組み上そういった許容は出来ないことが分かってきたのがここ数年でもある。SNS的なものは将来的になくなる可能性がある、というのも東浩紀さんの話で、僕はこれにとても同意します。


オタクたちが2次元美少女批判に対して勝手にやってるんだからスルーすりゃいいだろと主張するのと同様に、ヤンキーたちのやってることもある程度スルーしていくのがいい。