長期予測から逃走する

逃げましょう。

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三つ子の育児、背負い込んだ母 泣く子を投げ落とした夜


この痛ましい話には2つの問題がある。1つはコミュニティの問題。もう1つはメンタルの問題。コミュニティの問題はすぐには解決するのが難しいが、独身者や核家族が増えていく社会の中で子育てや介護などの問題を家族と不完全な公共福祉だけで解決するのではなく、もうすこしゆるい共同体を作って互いに押し付け合いながら生きていく。そういう仕組みが必要だ。核家族での育児はどう考えても過酷だよ。


もう1つのメンタルの問題があり、対処療法的であるかもしれないがメンタルはある程度改善出来る。育児の問題には様々な背景があるとはいえ直接の原因はストレス過多であることが多いのではないか。育児や介護など、この先長期間何かを消極的にやり続けなければいけない、そんな憂鬱な予測しかない状況に立たされると人のメンタルは病んでいく。


しかし、この長期的予測というのはあくまでも自分の未来に対して自分が勝手に考えている予測にすぎないのだ。僕たちはそういう形のないものに対してこそ最も大きなストレスを感じる。しかし形のないものだから変えていくことは出来る。もちろん現実として大変なところもあるのだけど、気の持ちようというのも馬鹿に出来るものではない。


結論から言えば、僕たちはあまり先の未来について考えない方が良い。良い予測が全く当てにならないのはみんな経験があると思うが、それと同じように悪い予測も全く当てにならないのだ。この世界で生きていれば色々なトラブルが起こるし、そのたびに自分の予測は少しずつズレていく。だから予測は当てにならないし、むしろそうやって当初の予測からズレていくことに寛容になることが大切だ。僕はよく寛容さが大切だとか言ってるけど、もちろん他者に対する寛容さが大切だと思うのだけど、それ以上に自分自身に対して寛容になることが幸せに生きていくためには大切だと思う。自分自身に寛容になるというのは、自分の居場所が予測よりズレてしまうことを許容するということだ。


僕たちは子供の頃からある種のレールの上を歩かされる。中学を卒業して、高校に行って、大学に行って、卒業したら就職して、貯金をして~。おまけに最近ではファイナンシャルプランナーという職業が台頭してきたりして、きっちりと一生分の予測を立ててそこからズレるのはよくないという風潮は高まるばかりだ。だけどどんなに精密な予測を立てても結局現実はどこかでズレてしまうし、その結果として自分の未来が悪い予測に変わってしまうこともある。しかし結局その悪い予測もまたズレていくのだということに寛容になって、ゆるく生きていくのが良いと思う。


つまり逃走が大切なのだ。育児の問題もそうだし、僕個人としても将来の両親の介護問題みたいなことで今の生活状況から大きく変わってしまうことがあるかもしれないけど、それ自体も大したことじゃない。生きていればまあそういうこともあるよね。そういうゆるいスタンスを保つことで、育児や介護が始まっても、自分の思考が育児や介護にかかりっきりになってしまうところから少しずつずらしていく。そういう風にして、予測に縛られずゆるく生きていきましょう。


これだといかにも抽象的なので、もう少し具体例を上げると、育児とか介護とかが始まるととにかく「やってはいけないこと」だらけになる。決まった時間に家にいるべきだし、夜も何かあるたびに起きなければならない。当然旅行なんかに行く時間もない。この先何年間も旅行になんて行けないなという予測が簡単に立ち上がる。しかしだからこそあえて旅行に行こう。旅行に行ける手段を探そう。子供を連れて行ったって良い。子供の泣き声が他の観光客に迷惑になるとかしったこっちゃないのだ。大切なのは私の居場所が昨日と少しだけ変わっていることだけだ。