言葉の意味の移ろいとWord2Vec

「赤飯を出しましょう」という言葉は何を意味しているだろうかと考えると、何かおめでたい事があってお祝いしようという意味を思いつくだろう。


言葉の意味の移ろい

最近、生配信中に赤飯を喉に詰まらせて窒息死するというかわいそうな事故があった。

breaking-news.jp


僕はお餅は毎年何人も亡くなっているしどう考えてもやばいと思うのであまり食べないようにしてる。お餅系を食べる時は十分気を付けましょう。



この配信では人がカメラの前で窒息死するまでの様が全て生配信されたので、配信やアーカイブを観た人にはかなり強烈なイメージを残した。


冒頭の話題に戻る。


この事故が共有されている中で、リスナーが配信者に「赤飯を出しましょう」とコメントをしたらそれはどのような意味を持っているだろうか。


そこには元々の「お祝い」とは真逆の「死」という意味がついているだろう。


このように言葉の意味と言うのは静的ではなくふらふらしているのだ。



Word2Vec

最近話題のAIにおいては、テキスト解析/生成もホットな領域だ。


Word2Vecというのは有名な手法で、単語と単語が文章中に一緒に出てくる頻度などから全ての単語間の距離を計算する。そうすると言葉の意味が別の言葉で表現することが出来るようになる。たとえば「赤飯」だったら「赤い」「お米」「お祝い」のような別の言葉で表現されるだろう。

www.randpy.tokyo


これはソシュール的、構造主義の延長線上にある言語理論/文学理論とその実装といえる。


実装して動かしてみるというのはけっこう意味があるので、人文系でもWord2Vecなどを使えば構造主義の再解釈も出来たりするのかもしれない。


ところで構造主義というのは静的な構造を扱う領域だ。Word2Vecであれば、決められたコーパスを入力して、その静的な文章中における言葉の構造を分析する。


一方で、現代思想にはポスト構造主義というものがある。この世界は静的ではないというものだ。


前述したように、「赤飯を出しましょう」という言葉の意味はふらふらと移ろいでいる。構造は、常に他の何かに邪魔をされて形を変えていく。



機械学習はまだポスト構造主義を十分に検討出来ていないと思う。おそらく機械学習のエンジニアはWord2Vecで十分に満足している(精度をのぞけば)。こういう時は人文科学がWord2Vecを批評してみたりすると面白いのかなって思う。