ひきこもりと殺人犯とは全くの別物である

まあ、こんなことを書くこともはばかれることではあるのだけれど。


先日の川崎の事件が引き起こした社会の感情のうねりは巨大だ。被害にあった児童や親御さんの想いを想像するといたたまれない事件だし、感情的に揺さぶられるのはとてもわかる。その結果起きているのが大きな感情のうねりで、その中で行われているのが事件の物語化。ひきこもりという属性に焦点を当てる。頭の中を整理するために論理的にシンプルな原因を考えてしまう。現代人の悪い癖だろう。


これにあたって、一方では無敵の人はやばい論が出る。もう一方では、いやそうなってしまうのは社会全体の問題であり、彼等こそ保護しなければならない論もある。この両論は一見対立しているように見えて、ひきこもりという属性と殺人犯とを結びつけているという点において共犯関係にある。


そのうねりの中で、引きこもりの子供を殺害するという最悪な事件が発生してしまった。


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このタイミングからいって、加害者はこの社会のうねりに飲まれてしまった可能性が高い。引きこもりが原因と語られている中で、息子に殺人犯の素養を見出してしまったのだろう。


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政府の調査によると、中高年で引きこもっている人は60万人いる。若年層も合わせれば100万人を超える。そして、この種の殺人事件を起こすのは60万人とか100万人とかの中の数人でしかないのだ。今ひきこもっている人と実際に殺人を犯してしまう人との間には、大きな差がある。


もちろん、引きこもっている人を社会復帰、とはいかないまでも他人とのつながりを作ることは大事だと思う。


しかし、引きこもりと殺人犯を結び付けて対策しようというのは過剰な反応だ。この事件に限らず、無職やひきこもりや、あるいはロスジェネなども同じように語られることがあるが、少し落ち着いて考えた方がいいだろう。60万人も人がいれば、その中には多様な事情があって、その中のほんの一部が個別の事情で殺人という形になってしまっているのだ。これを一括りにしてしまうのは、偏見を助長して負の連鎖を生むだけだろう。