【感想】孤独の意味も、女であることの味わいも / 三浦瑠璃

三浦瑠璃さんが自らの半生を語った自伝。

孤独の意味も、女であることの味わいも

孤独の意味も、女であることの味わいも


もともと三浦瑠璃さんは好きなのだ。三浦瑠璃さんはワイドナショーとかにも出ていて、政治思想的には右側の立場であると言われている。なにしろこの1つ前の本は徴兵制を提案する本なのだ。僕はどちらかというと左翼よりなのではと自分では思うけど、でも三浦瑠璃さんは好きなのだ。


今では右側も左側もどちらもとても排外的な思想になっている。右側は分かりやすく外国人を排除しようとする。左側の人達も、ポリコレに代表されるような、左側の規範に従わない者達を排除する。結局のところ、東浩紀さんが否定神学的と批判したような、敵と友に分かりやすく分かれる二項対立の中に右翼も左翼もいるのだ。


そんな時代に寛容なリベラルな社会の芽を見つけようと思うと、個々の人達の思考の中に見つけていくしかなく、この観点では、政治思想が右側であるとか左側であるとかはほとんど関係がない。だから僕は、一方で徴兵制だとか言っている三浦瑠璃さんを、とてもリベラルな人だと思っていた。他者に対して寛容な人だ。



本書は、三浦瑠璃さんが自らの幼少期からの経験を余すことなく語っている赤裸々な本だ。それも単に出来事を語るのではなく、その時どう考えていたか、今から考えると何だったのか、その経験が社会とどう繋がっているのか、という考察が詳細に加えられている。この考察がとても面白い。子供の頃いじめらていた時に何を考えていたか、出産する時に何を考えていたか。そんな思考がたくさん書かれていて、三浦瑠璃さんの謎の寛容さがどのように構成されているのかも、その一片を知ることが出来る。


まあ、これを中学生とかに読ませると中二病まっしぐらな感じになってしまうかもしれないが、大学生とか社会人とか、少し距離を置いて読める年代の人にはとてもお薦めの本だと思う。



ただ、最近の僕の趣味としては私小説的なものを批判したい傾向があるので、最後にちょっと批判しよう。この本の批判というよりは、その後のブログに対する批判だが、結果的には本に対する批判なのかもしれない。


私の体験を作品化するのは、他者との差異を作品化することだ。個性を大切にするのは大事だが、一方で、人の個性というのは単なる傾向であり私と同じような人は他にもたくさんいる、ということを忘れてはならないだろう。


lullymiura.hatenadiary.jp

私はというと、このニュースをその日の夕方の報道枠で取り上げたときも、親としての恐怖や哀悼の意以外に特段コメントはしていません。そして、「死ぬなら一人で死んでくれ」とは言いませんでした。


新著『孤独の意味も、女であることの味わいも』に書いた通り、私は殺されると感じたこともあるし、その後、何度か自殺を考えたことがあります。自分が生死の際をさまよった人間からは、そういう表現が多分出てこないのです。


僕はこの議論は、社会を語るにしてはずいぶん雑なのではないかと思う。本書「孤独の意味も、女であることの味わいも」はとてもいい本だ。それであるが故に、とても力を持っている。だから三浦瑠璃さんは今後、本書を引用するだけで説得力を持つことが出来るだろう。その結果、「生死の際をさまよった人間からは一人で死ねという言葉は出てこない。」というような、観念的で雑な議論になってしまうのは問題があるだろう。あれだけたくさんの人が1人で死ねに賛同しているのだから、普通に考えてこれは間違っている可能性が高い。生死の際をさまよった経験の有無も傾向でしかなく、同じ経験をしている人は他にもたくさんいて、その中にも多様な人がいるのだ。


まあただ、この批判自体が観念的というか、もともと考えていた私小説批判のロジックに三浦瑠璃さんを無理やり当てはめただけなのかもしれないが、まあ当てはまってしまったのだからしょうがない。