『天気の子』の感想

だいぶ前になってしまったけど、新海誠監督の天気の子を観てきた。そういえば感想をどこにも書いていなかったので簡単に書いておこう。



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映画を見始めた時の第一印象としては、「雨」に振り切ったなという感じ。


新海誠監督といったらやっぱり雨が印象的。特に都心に降る雨。都心に住んでいると雨というのはとてもジメジメするし邪魔者でしかないのだけれど、田舎にいくと少し違う。以下のように、たとえば紫陽花とかと雨とを組み合わせるとなんとも綺麗な世界になる。


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新海誠監督は、このように「紫陽花と雨」で出来るような素敵映像を、「山手線と雨」でやっちゃう。それがとにかくすごいというのが特に近年の作品では言われていたのだけれど、天気の子では常に雨が降っているので、「山手線と雨」という自身の特徴を前面に推して来たなと思った。SNSなどでも天気の子を観て「雨も悪くないな」という感想が出ていたので、新海誠監督の雨はなんかすごいのだ。



作品全体の印象としては「君の名は2」だなあという感想だった。それはつまり、全編通してRADWINPSとの共作のような作品となっていて、物語全体を音楽特有の「ノリ」に寄せている。歌詞とかに通じるものがあるけど、物語内で多くを語りすぎず、映像表現やテンポ感を重視することで音楽にノることが出来る。「君の名は」はそういう作品だったけど、天気の子も基本的にはそういう方向の作品だったと思う。



ところで、天気の子に関しては、考察のようなものは宇野常弘さんのものしか読んでいない。


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今回の『天気の子』は中二病セカイ系全開に振り切ったという趣旨のことを述べている。しかし、僕に言わせれば『天気の子』は全然中二病でもなければセカイ系でもない。

「たとえセカイが滅んでも僕は彼女と一緒にいたい」じゃないと、中二病にもセカイ系にもならない。にもかかわらず、『天気の子』では主人公が銃を撃っても人に当たらない、ヒロインの生還と引き換えに洪水が起きても人が死んだ描写がない。「あの夏の日、あの空の上で、私たちは世界の形を決定的に変えてしまった」というキャッチコピーがこの作品には添えられていたのだけど、果たしてこれは本当にセカイが変わったと言えるのだろうか。もちろん、劇中の「設定」ではそうだ。ヒロインの生還と引き換えに東京が水害によって水没しているのだから。しかし、その代償は一切描かれない。端的に述べて、これではまったく心がざわつかない、と僕は思った。


SNSなどでの反応を見かけると、天気の子は「セカイ系」という文脈で語られている。


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セカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」


アニメ界全体がエヴァンゲリオンの影響を強く受けていた2000年代にセカイ系作品が多く出てきて、新海誠監督の最初の作品「ほしのこえ」もセカイ系作品の代表作とされている。なので、特にゼロ年代のアニメファンは、「天気の子」を久しぶりにセカイ系が帰ってきたという形で受け止めている。それに対して宇野さんは、天気の子はセカイ系としてはイケてない、という評価をしているようだ。


僕の解釈としては、天気の子は「反」セカイ系だと感じた。セカイ系へのアンチである。それで、まあたしかに今の時代は反セカイ系なのかもしれないなあと、感じたのだった。


天気の子では、主人公とヒロインとがそれぞれ独立して世界を改変する能力を有しており、世界の改変も実は2度行われている。


1度目は、ヒロインが世界を「雨から晴れ」に作り変える。この世界改変は「ヒロインの存在と引き換えに世界を改変する」という、宇野さんのいうところのセカイ系的な犠牲が明確に存在している。この自己犠牲による世界改変は「まどか☆マギカ」と同じ構図で、セカイ系の1つの形だ。自分の存在と引き換えに、世界をより良い形に作り変えた。


物語の視点が主人公にあるので、この改変はあまり語られていないのだけど、改変の直前にヒロインが主人公に対して「晴れてほしい?」と問うて、主人公が「うん」と答えるというやり取りが挿入されていることから、ヒロインの意思で世界が変わったと考えられる。


従来のセカイ系ではこの世界改変を以て物語は完結するが、問題になるのはその後の2度目の世界改変だろう。主人公が世界を「晴れから雨」に作り変える。宇野さんの指摘もここで、この改変には明確な犠牲が支払われていない。


しかし僕の解釈では、この2度目の世界改変は、世界を改変したというよりもむしろ1度目の世界改変をキャンセルしているのだ。自己犠牲とともに実現した1度目の世界改変=セカイ系的世界改変をキャンセルしているのだから、犠牲がないのはむしろ当然だ。ヒロインの犠牲をキャンセルしているのだから。


したがって、天気の子はセカイ系ではなく反セカイ系作品であり、犠牲(=被害者)の存在を善しとしない作品であり、僕はそこに時代の流れを感じたのだった。