東のエデン

山と山との間を流れる川が侵食して出来た小さな平地が僕の町だった。空は小さく、東西南北どこを見渡しても視線はすぐに山で遮断される。


町の外とは物理的に遮断されていて、川の崖沿いに敷かれた一本の道か、トンネルを何個も通り抜けなければならない電車だけが町の内と外とを繋いでいる。(これらの通路がたまに土砂崩れなどで破壊されると大変なことになる。)


僕は小学生の高学年のころには山の向こう側に強い憧れを持つようになる。特に東の山の向こう側だ。東の山の向こう側には、文字通り東の都、東京があるのだ。だからか僕はだんだんと町の東側で遊ぶことが多くなったし、東の山に登ってみたりもした。


高校生までの18年間、僕はこの山で囲まれた町で過ごした。


大学進学とともに、僕はようやくこの町から出ることになった。新しい町は大都市とはいえないけど小さくもないという地方都市で、大学の間はそこで暮らした。


それはもう全く違う世界だった。家の近くに24時間営業のコンビニがあり(山の中のコンビニは22時に閉まっていた)、ガストがあり、マクドナルドがあった。今でも豊かな町というと、24時間営業のジャンクなお店たちを思い浮かべるのはこの時の感動が大きい。僕にとっての自由の象徴なのだ。


新しい町で暮らすと同時に、今に至る長い一人暮らしが始まった。それまで僕はとにかくテレビゲームを思う存分やりたかったが、いざ膨大な時間が出来てみるとゲームはそれほどやらなかった。それよりもインターネット上の個人サイトや2ちゃんねるなどに興味が移り、ネットをしている時間が一番長いという、これまた今に至る生活が始まった。


そんな大学生活は色々あったが総じて楽しかった。


そんな大学生活が卒業間近になっても就職活動はしなかった。この頃は就職氷河期だとか言って新卒の行く末を憂う話も多かったと思うが全く興味がなく、近くの家電量販店とかでレジとかやって平穏に暮らせばいいやと思ってた。


そんな感じで全く就職活動をしなかったら研究室の教授がマジギレしてしまった。しかたなく大学で求人を探すと、情報系の学部だったので中規模SIerの求人があった。ちゃんと就職活動してましたよというアリバイを作るために受けてみたのだが、なんと内定が出てしまった。


そのSIerは全国の主要都市に支社があり、僕は愛知県で働くことになった。


当然のことながら愛知になんて知り合いも一人もいないので、ここで生まれて初めて孤独の味を味わった。とにかく遊ぶ人がいないので、毎日深夜まであてもなくドライブをしていた。


といいつつ孤独を噛み締めていたのもわずかな間で、ちょうどそのころニコニコ動画が始まったり、先輩にFF11に誘われてやってみたり、先輩に大量のアニメのDVDを借りてみたりしているうちに、すっかりネットの住人になってしまい、孤独を感じることもなくなった。


もともと超適当に働き始めたわりには仕事は順調で、入社3年目くらいにはチームリーダーのようなポジションになった。


でも家に帰ったらひたすらインターネットをしていて、インターネット愛してるという状態にまで極まってしまった僕は、SIerを辞めてWeb系で働こうと思った。そのころ東日本大震災が起こり、日本社会の混乱の中でいよいよインターネットが新しい社会を作るという機運も高まっていた。


とりあえず会社を辞めてニートになった。送別会の挨拶で「次はどうするんですか?」と聞かれて「ニートになります」と答えたらけっこうウケた。


ニートになってからというものずっとFF11をやっていた。寝るか、コンビニに行くか、あとはFF11をやっていた。


半年ほどFF11をやってコンテンツをやりつくしたので働くことにした。SIerでの働き方はサラリーマン的でストレスフルだったので、就職するのは「Web系/小さな会社/スーツ着ない/東京」という条件で探すことにした。ここでも条件を満たす会社を適当に受けたら内定をもらったので、今も働いている会社に就職することになった。


そんなわけで東京での暮らしが始まった。僕にとっては4つ目の町が東京になった。東京での仕事も順調だった。いくつかの大きなWebサービスに携わることが出来たし、職場環境も目的としてたWeb系のやつそのものだった。



そんなある日ふと、小学校の頃に東の山の向こう側にある東京に憧れていたことを思い出した。当時はすでに色々なWebサービスが生まれていて、その中にGoogle Mapという地図のサービスがあった。


そこでGoogle Mapであの町の東の山の向こう側をみてみた。そこには今ようやくたどり着いた大都会東京があるはずだった。


東の山の向こう側にあったのはまかいの牧場だった。

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