監獄の誕生

監獄の誕生(監視と処罰)という本がある。人文系の人には有名な本なのだろうけど、20世紀を代表する哲学書のようだ。

監獄の誕生 ― 監視と処罰

監獄の誕生 ― 監視と処罰


18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでパノプティコン型刑務所という新しいスタイルの監獄が生まれ、権力の構造が変化したという話。

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簡単に書くと以下のような条件を満たすような構造の刑務所のこと。

  • 受刑者は独房に監禁される。
  • 少数の監視者で全独房を素早く監視出来る。
  • 受刑者側からは監視者の姿が見えない。


これが考案された18世紀当時は、これを満たすようなものを作ろうとするとかなり大がかりなものになっただっただろうが、テクノロジーが発展した現代には監視カメラがあり実装するのは簡単だ。(ただし日本で本当にこの刑務所を実装すると人権侵害になるようだ)


パノプティコンの発想としては、上記の条件を満たす刑務所に受刑者を監禁すると、受刑者はいつ何時監視されているのか分からないので、「監視されているかもしれない」という思い込みによって規範的な行動を取るようになる。極端な話、監視者はいなくてもよくなる。監視者は受刑者の心の中に勝手に存在しているのである。


これだけだと刑務所の中の仕組みなんて知らんがなとも思うけど、刑務所というのは要するに権力(規範)に従わない者を従わせるための装置である。もっと昔は公開処刑など残酷な処罰を見せびらかすことでそれを達成していた。パノプティコンという哲学は、常に監視をされていると思い込ませることにより人を規範に従わすことが出来るというものだ。


このように監視というのは権力と密接に関わっている。そしてこのやり方は絶対的な権力者が不在の民主主義とものすごく相性がいい。なぜならば、監視さえ機能していれば権力者そのものは不要だからである。監視される人の心の中に勝手に権力者が生まれるのである。


21世紀になり監視社会は問題だという声も聞くが、全体としては「超」監視社会に向かっている。もはやだれもが常にビデオカメラを持ち歩いているし、ある程度の都市ならいたるところに監視カメラがあるし、車にもビデオカメラを装着するのが主流だ。そして人々の生活の一部分がインターネット上(SNS)に移行したことにより、監視カメラの映像を共有することは簡単になったし、ライフログを追うことも簡単に出来る。


これは昔の絶対的な権力者が、残酷な処罰を以て人々の行動を制限していた時代と変わらない。むしろ、監視カメラが至る所にあり、誰もが心の中に権力者を飼っている現代社会は、自制という形でより行動を制限された状態といえる。