多様性について

多様性という言葉が世の中的にけっこう重視されるようになってきているけど、どうも多様性というものには2つの相反する側面があるようだというようなことを最近考えている。


その2つというのは「ミクロな多様性」と「マクロな多様性」である。ミクロな多様性とは僕たちの身の回りの多様性。目に映る社会がいかに多様かという指標だ。一方で、マクロな多様性というのは全体を俯瞰した時にいかに多様かという指標だ。多様性と言う時にこの2つはおそらくあまり区別されていないのだけれど、実はこの2つは全然別物であり、別物どころか相反する関係にある。


たとえば多様性の例として「女性の社会進出」を取り上げる。


女性の社会進出というのは、僕らの視点からみると男性だらけだったところに女性が入ってくるので、多様さが増したように見えるし実際に多様さは増している。今まで埋もれていた才能が発揮されるので社会的なメリットも大きい。一方で、マクロな視点から女性の社会進出の状態をみると、女性が男性と同じことをするようになったと捉えることが出来る。この視点では、女性の社会進出によって男性と女性とで大きな隔たりのあった生活様式が画一化されたので多様性は失われたと言える。


「多様性を指向する」というタイプのあらゆる言説は、この種の矛盾を内包している。


たとえばグローバリゼーション。グローバリゼーションの進化によって現代の街には外国人がたくさんいる。観光客や同僚や友達や、様々な形で外国人と関わっている。それだけなくインターネットで海外のコンテンツにも簡単にアクセス出来る。その視点で見ると多様性は増している。圧倒的に増している。しかしマクロな視点から見ると、現代は世界中の人がYoutubeを見てAmazonで買い物をしている。多様なコミュニケーションをするためにみんなが英語をしゃべるようになる。これは多様性が失われている状態である。


この問題は根が深い。


ガラパゴス諸島という太平洋に浮かぶ島がある。この島は太古の昔から海によって大陸から切り離されていたため、独自の進化を遂げている動物が多い。生物多様性という文脈ではなにかと話題の地域である。


ミクロな多様性を求めるならば、ガラパゴスにいる独自の動物たちを僕たちの社会に連れてきて暮らしてもらうのがいい。あるいは僕たちの社会をガラパゴスに持ち込めばいい。そうすれば餌はたくさん手に入れることができるし、Youtubeを見て楽しんで、Amazonでほしい物を買えるようになって、ガラパゴスの動物たちはきっと幸せだろう。僕たちとしても社会に新しい仲間が加わって新たなイノベーションが起こるかもしれない。まさにWin-Winである。


マクロな多様性が重要だと感じるのならば、目には映らない多様な世界に心を馳せて、そっとしておくことだ。