2018年の豊富の行方

新年の抱負ってやつはえてして2月くらいにはもう何だったのかさえ忘れているものですが、めずらしく今年はけっこう達成出来た気がします。


僕が設定した新年の抱負は「夏くらいまで女の子とデートしまくる」という身もふたもないものだったけど、さりとてここまでけっこう快調に達成出来ていて、なんだろうが目標を達成出来ると達成感のようなものはあります。


達成できた要因を考えるに、新年の頃の僕がわりと躁状態だったこともあり、目標を掲げた次の日にはもうデートのブッキングをしまくっていたという事実につきそうです。一度勢いで始めてしまえば、だんだん冷静になって「俺はいったい何をやってるんだろうか」とテンションが下がってきても流れが一度出来上がってしまえば長続きしました。


どうやら新年の抱負を達成するためにはお正月から目標に向かって実行することが大切なようです。今日を頑張り始めたものだけに明日がある・・・!


ところで新年の抱負が夏までと期間限定で設定していたので、さてこれからどうしようかという感じになっています。ここ最近の僕としては「誤配の設計」というキーワードで何かをしたいのですが、いかにも抽象的で今日から何をしたらいいのかもわかりません。従っていかにもダメそうです。まあでもちょっと考えてみます。


あ、誤配というのは郵便物が間違って届くところから来ている言葉で、個人的な目標としての「誤配の設計」とは、僕自身が間違って(ランダムに)変なコミュニティに届けられるという仕組み(環境)を作ることです。このあたりは思想家の東浩紀さんの話ですね。1つのコミュニティに居続けるのってけっきょくそのコミュニティの空気を読むのが上手くなってくだけなので、思考停止状態になっちゃうと思うのです。だからある程度のランダム性をもってコミュニティを渡り歩けたらいいなぁと最近は思ってます。


あともう1つ今年後半の目標にしたいのが体質改善です。やることはシンプルで食事/運動/睡眠の改善です。これは今日から頑張ろうと思うけど、個人的なものなので流れを作りにくくて長続きするのが難しいやつですね。まあとりあえずカイジの班長の言う通り、今日から頑張るのを始めましょう。頑張り始めたものだけに明日がくるのです!



まあ今年後半の具体的な目標はちょっと置いておくとして、今年の豊富というかスローガンみたいなのがもう1つ別にあったりします。それは「目の前に選択肢があったらより勇気が必要な方を選択する」です。これを守るのもなかなか難しいのですが、これは後半も引き続きやっていきたいです。これは批評家の坂上秋成さんがツイッターで「人生、愛と勇気っしょ」みたいな事をいっておられたのに感銘を受けまして、まあ愛は理性でコントロールするのは難しいと思うのですが、勇気は理性でコントロール出来そうな気がするので、この目標にしてみました。センテンスとしても短くすっきりしているし、我ながら良い感じの目標なのではと自画自賛してる目標です(達成は出来てない)



さて、結果はいかに。ちなみに僕としては「目標は達成されない」に1万円かけたいところです。

食事改革こそが最強の働き方改革

働き方を改革するのが話題のようです。

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働き方改革については主に労働時間についての議論になっていることが多いのですが、労働時間て長い方が良い短い方が良いって一緒くたに設定出来るような話じゃないと僕は思うのですよね。個人の体力やそれぞれの仕事のストレス具合によって適切な労働時間て変わってくるので、全体的に調整しようと上手くいかないと思います。

それこそ体調なんて毎日違うのだから、体力が余裕なら家に帰ってyoutube見てるよりはどんどん仕事して出世したりお金を稼いだ方が幸せな人もいるし、しんどくなったら休んだり早く帰った方が良い。そういうふうにフレキシブルに働けるようになるのがいいかなって思います。

具体的には残業代なしになる代わりに、完全フレックス、有給休暇を増やす、有給休暇を1時間単位で取得可能にする、とかになったらいいなって思います。まあもちろん職種によってはフレキシブルな対応が難しいものも多いのでなかなか難しいのですが。



まあ兎にも角にも、労働時間を生産性がベストになるように調整するのは難しいと思います。それよりも、仕事の生産性をアップするために比較的簡単に導入できる施策があると思うのです。それは「食事」です。


社会人になると会社で就業時間帯に食事をとる機会がとても多いのですが、職場での食事内容がけっこうひどい印象があります。お昼はまだ気を使ってる人が多いかもしれませんが、会社でとる夕食はそれはもうひどいもので、おにぎりラーメンのような炭水化物オンリーなんてのはまだマシで、菓子パンとかお菓子とかで済ませるのが超普通で、ちゃんとしたお弁当食べたり外食する人とか全然いません。残業が続くと異様にすり減ってく人が多いのって、ご飯がめちゃくちゃになるという側面が大きいと思うのですよね。


人の仕事に対する集中力ってホルモンバランスに司られてるから、食事/運動/睡眠がとても重要です。運動睡眠は就業時間外のことなので口を出せませんが、食事は就業時間内に行われるものなのである程度会社側がコントロール出来るはずです。


なので働き方改革として僕が推したいのは「就業時間中の食事」です。昼食と夕食にちゃんと栄養が考えられた料理を摂取出来る職場環境を作ることが非常に重要で、それが実現できればホルモンバランスが整えられ仕事の生産性爆上げ間違いなしであることは確定的に明らかなのです。


健康が一番大事

サマータイムむりです

サマータイムが話題ですが、実際のところサマータイム対応は不可能なんで無視でいいんじゃないですかねぇ。まあ制度的に強行したらデジタル機器全般が大混乱が予想されるので、それはそれでどうなっちゃうのか見てみたい気もする。


不可能だと思う理由をつらつらと


デジタル機器は世界標準時刻で時刻を管理している

特にこれはIT系な人じゃないとあんまり馴染みがないと思うのですが、コンピュータは内部的に世界標準時刻(以下UTC)を持っていて、UTCに9時間加えたものを日本の時刻ですよーといって皆さんのディスプレイに表示しているんですね。このように世界の地域によって時刻が違うことをタイムゾーンといって、UTCに9時間加えたのが日本のタイムゾーンになってます。


たとえばアナログ時計でサマータイム対応しようと思ったら時計を2時間遅らせればいいです。でもコンピュータでは同じように時計を2時間ずらすということは出来ないんですね。なぜかというとコンピュータはUTCを管理しているので、日本のサマータイムに合わせてコンピュータの時刻を2時間ずらすと、コンピュータ内部のUTCが正しいものから2時間ずれてしまうことになるのです。つまり日本の時刻は正しいけど、そのコンピュータが管理している日本以外の全ての国の時刻が間違った状態になるということです。


まあ家のPCの時間を2時間ずらすくらいだとそこまで大きな影響はないかもしれない(使えなくなるアプリはあるかもしれない)けど、日本中のデジタル機器が管理している海外の時間が全て間違った状態になるってどう考えてもやばいので、コンピュータの時計を2時間ずらすってことは出来ないんですね。


じゃあどうするかっていうと、「日本(サマータイム)」という新しいタイムゾーンを定義してあげる必要があります。それで今までUTCに9時間足していたところを11時間足してあげるように変更するんですね。しかしここで問題なのは、UTCに9時間足す処理って時刻を扱う場合はわりとありふれた処理なので、あらゆるシステムがやっている可能性があります。そのため、OS含め現存する全てのソースコードを洗い直して9時間加えているところを探し出して、そこを11時間加えるように修正してあげる必要があるんですね。


ちなみにソースコードというのは、Googleというたった1企業が作ったものだけでテキストファイルにして20億行あるらしいです。大変なことです。

gigazine.net


影響は日本だけにとどまらない

アナログ時計の時刻をずらすならみんなが手元にある時計を直せばいいですよね。でもデジタル機器は通信/Web/金融などいろいろな分野で全世界に開かれているのです。全世界に開かれているとはどういうことかというと、海外で海外の人たちが使っているシステムも日本時間を管理しているものがたくさんあるっていうことです。当然、海外のシステムも全て対応しないとバグります。日本は今すぐに全世界に向けて来年2時間ずらしまーす直してねてへぺろ☆(・ω<)と発信する必要があります。


そもそもとして変更不可能なシステムもたくさんある

正直なところ10年前に作ったきり今でもそのまま動かしてるシステムとかもたくさんあると思うのですが、そういうのってエコシステムの変化により今ではビルドするのも難しい状態になっていることが多いですよね。10年前はこのURLからこのライブラリダウンロードして来てたけど、今はもう消されちゃってる!みたいなのね。

もっと言えば小さい会社が作ったり個人が作ったりしたものだと、今となってはソースコードもどこに行ったのかわからんみたいなのもたくさんあると思いますね。完全に詰んだ状態です。




とまあ、サマータイムは無理すぎるので気にしないことにしました。やる気はあるよ。2時間ずれるって素晴らしい。こんなに嬉しいことはない。でも無理。

炎上に参加しないようにするには

炎上は単に良くないけど、知らぬ間に参加していたりするのがやっかいです。炎上というのは当該環境におけるノリなので、根本的には環境を疑いノリに流されないことが大切なのですが、何が環境で何がノリなのかを毎回考えるのもなかなか大変です。


そんなことを最近はよく考えていたのですが、具体的にこうすれば炎上に参加しないようになれるのではないかなっていう現段階での方針がまとまりました。それはシンプルに

周囲の人(環境)から「いいね」がもらえるような批判的言説を発信しない

だと思います。これだけ意識していれば炎上から距離をとれるかもしない。


何かを批判することで「いいね」がもらえる問題はなかなか根が深くて、教室内でこのノリが発生するといじめになります。考えてみると、いじめへの参加を拒否すると「ノリが悪い」って言われますよね。あるいは、否定神学マルチチュードといって東浩紀さんが批判していたデモなんかも、この「いいね」問題をはらんでいるんじゃないかなって思いました。


「人は1人で生まれて1人で死ぬの」とははるか昔某エロ漫画に出てきたセリフですが、僕けっこうこのフレーズが好きで今でも脳内に反芻されてます。環境のノリに従って連帯する気持ちよさを否定する気はありませんが、連帯して何かを攻撃して気持ちよくなって人生の穴埋めをするのはあまり褒められたことじゃないかなって思います。1人で生まれて1人で死ぬという現実に少しだけ目を向けて、連帯しないで得られる幸せのことも考えてみるといいと思います。




ちなみに「人は1人で生まれて1人で死ぬの」とは「(SEXして)1つになろう」という誘い文句を断るときの台詞でしたので、もしもそんな機会があったら使ってみるとかっこいい気がします。

他人を傷つけないようにするには

ツイッターやってて、誰も傷つけないツイートしたかったという話をみて、なるほどそれはいったいどういうものだろうと思いを馳せていた今日この頃です。しかし誰も傷つけない言動をするというのはなかなか不可能な事だと思います。それどころか単純にそこを目指してしまうと逆効果になりかねません。


「嫌いじゃなく好きを語れば誰も傷つけない」という話はネットだとよく見かけます。しかしこれもなかなか曲者で、まあ単純な反論としては「あなたが好きだと言っているものに親を殺されました」というのがありそうです。

他にももっと色々なケースがあるのですが、おそらく一番問題になるのが、例えば40人のクラスで39人が「~が好き」と盛り上がっていれば残りの1人は嫌な気分になったりするケースです。人はこのケースのように「誰かが楽しくしているのを見て傷つく」という感情を持っているため、原理的に何をしても誰かが傷つくのです。そのため、誰も傷つけない言動をするというのは不可能と言えます。


ではどうすりゃいいのかというのは難しい話ですが、僕の場合は傷つける対象を選択するというのをけっこう昔からやってます。ここで選択されるべき傷つける対象というのは「出来るだけたくさんの人」です。一個人が持っている攻撃力は有限ですから、攻撃対象を出来るだけ多くすることで1人当たりのダメージを軽くするというロジックになっています。

逆にマイノリティを攻撃対象にしてしまうと、本当に些細な攻撃でも深刻なダメージになってしまうことがあるので注意が必要だと思います。別の角度から見ると、先ほど40人中1人が孤立するというケースのように、多数派というのは多数派であるということ自体が少数派に対してのわりと強めな攻撃性を持っているのです。


従って、出来るだけ誰も傷つけないために考えるべきはシンプルで、多数派と距離を置くということです。ツイッターで言うならば、自分の考えが多数派だと感じた時は黙り、少数派だと感じた時は正直に思いの丈をばんばんツイートするのが良いと思います。これが誰も傷つけないコツのようなものです。ただ、同じ意見でも場の切り取り方によって多数派になったり少数派になったりするので、そこら辺はバランス感覚が必要になってくると思います。あと当然ですが暴力はどこまで行ってもただの暴力なのでもちろんダメです。


僕らは幼少の頃から小学校などで多数派でいることの幸せと少数派になることの不幸をとことん教え込まれるので、多数派と距離を置くっていうのはけっこう勇気がいることかもしれません。でも、今この国はどんどん深刻な衰退へと突き進んでいて、そんな場所で多数派でいること自体けっこうやばいんじゃかなって思うので、多数派と距離を置いた方が結果的には良いことが多いかもしれません。



あとはまあ、FPとか使っちゃダメ絶対。

学校にエアコンが設置されない理由を考える

今年は記録的な熱波に見舞われていて熱中症がクローズアップされています。

www.nikkei.com

それにともなって小学校にエアコンが設置されてない問題がネット上では話題ですが、行政側はなかなか重い腰状態のようで、命よりお金なのかと批判されています。


なんで腰が重いのか、考えられる理由をつらつらと書いてみます。


まず考えなければいけないのは学校へのエアコン設置には肌感覚以上にお金がかかるということです。1校あたりだいたい5000万円くらいかかるので、街単位で公立学校に一律設置を行うと数十億〜数百億円のお金が必要になります。

さらにこれより問題なのが運用時の電気代や補修費などで、エアコンのランニングコストが1校月あたり数百万円かかり、せっかくエアコンを設置しても稼働出来ない学校も多いようです。ただ、このランニングコストについては保護者だけでも年間5000円程度の負担で済むので、市民全体で面倒見ますよということならばさらに負担は少なさそうで、どちらかというと市民から徴税して予算を取るのが大変というところでしょうか。けっきょく「エアコン設置しろ→電気代は市民に負担していただきます→無駄を削ってからだ」というお決まりの議論が始まるのは明らかなので。


また、エアコン設置に腰が重い理由として、統計的にみてエアコン設置による学生の熱中症死亡事故に対する効果は見込めないということが考えられます。

www.mhlw.go.jp


このように、10代が熱中症で亡くなるのは近年でも年間で数人と十分少ないため、先の千葉市長も学校のエアコン設置の有無で熱中症に対して統計的有意差がないと言っていたように、エアコン設置ではこれ以上改善することは出来ないでしょう。

さらに熱中症が危険視されるくらい夏場の暑い時期に生徒が教室で授業を受けている時間は、梅雨明けから夏休みの間までと考えると10日間程度であり、また、熱中症が問題となるケースがほとんど屋外活動であることも重い腰の原因だと思います。熱中症の発症条件には個人差が大きくどうしても防ぎきれないので、どちらかというと教職員の熱中症に対する知識の向上を行い対処療法を徹底した方が亡くなってしまう数人に対しては効果があるんじゃないかと思います。



個人的には昭和じゃないし(平成も終わろうとしているっ)、これから少子高齢化で子どもたちは本当に大切な存在になっていくので、生徒が集まる場所にはエアコンつけて良質な教育環境にしたほうがいいと思いますが、「人命とお金とどっちが大切なんだ!」という感じの言説は明らかに数字と齟齬があるので、あんまりよくないんじゃないかなと思ってたりします。あとは、やっぱり我々大人がこのコストを負担するのが当然なので、ゴネないことが大切でしょうか。