心の闇

生い立ちに由来した僕の闇がなかなか深いことに改めて向き合うことになっている。

闇を抱えていることによって見えてくるこの世界に対する視点を僕はなかなか気に入っていて、今となっては僕の長所になっているとさえ思っている。


しかし現実問題としてこれによって様々なものを失っていることもまた事実なので、ちょっと今年はこいつをぶっ倒すことにした。

特急かいじ195号 と LUNARIA

2017年の大晦日に東京から山梨へ帰省したわけなのですが、この時に乗った電車がたまたま特急かいじ195号でした。

特急かいじ195号はかなり古いタイプのかいじで、年に数回だけ運行しているらしいです。それも2018年には完全に引退するらしく、大晦日の新宿駅撮り鉄だらけになってて異様な雰囲気になっていました。


まあ僕はあんまり興味はないのですが、これくらい古い列車に乗るのはなかなか貴重な体験で、まず車内が超寒いわけです。たぶん隙間風的なものが入ってきてるので、山梨の山奥に入ったあたりから車内は極寒、特にトンネルにインした時は一気に冷え込んでトンネルやべーわとなってました。

窓ガラスもまじでただのガラスで、すごく冷たくなっていて、結露でびしょびしょになってました。


そんな感じで昔の人の厳しい環境を実体験しながら帰省したわけですが、この列車が甲府駅についたらゲーセンの客に10年ぶりに会うというそこそこなイベントが待ち構えていたので、冷え込む車内とは裏腹に気分はけっこう高ぶっていたのですよね。

それでこの頃はChouchouのLUNARIAという曲がすごく好きだったので、気分を落ち着けるために極寒の車内でLUNARIAをひたすらループして聴き続けて帰っていたのですが、結露で滲んだ窓ガラスの向こうで輝く太陽の光とLUNARIAという曲がとてもマッチしていて、非常に美しかったんですよね。 

あの光景も心象風景のような感じで心に焼き付いているので、もしかしたら一生忘れないのかもしれません。


晴れたら空に ルナリアを蒔いて
暗い闇が私を抱く頃
心奪って 手を離さないで
光が待つ場所へ 連れてって

10年ぶりの再会

僕は大学生の時にゲームセンターでバイトしてたのですが、その時に仲がよかった常連客の出会った当時中学3年生だった女の子とここまで細々と連絡を取り続けていて、去年の大晦日に10年以上ぶりくらいに会ってきました。

中学3年生だった彼女も今は29歳。学費を稼ぐために夜のバイトとかもしたりしながら色々熱い10年を歩んで来たようで、当時からかわいかったんですけどほんと見違えるように素敵な女性になっていたりしました。


10年ぶりにね、10代だった女の子がいきなり29歳になって目の前に現れるというのはなかなか経験出来ない出来事だと思うのですが、まあ色々と考えさせられました。人って成長するんだなぁというか、色んな可能性があるんだなぁというか。

あとは、先日16年間部屋に監禁された末に死亡した女の子の事件がありましたが、この成長の20代を全部2畳の部屋の中で過ごしたっていうのが、ほんと悲しいなぁっていうのも思いました。


それはさておき、個人的にはこれはなかなか大きな出来事で、僕は社会人になってから仕事で歯向かうやつは片っ端から粉砕していくというジャックナイフっぷりを研ぎ澄ましていたのですが、そんなことを続けているうちになかなか重度の人間不信に陥ったまま今日に至っていたのですが、なんかよく分からないけど彼女と5時間くらい話をしただけで、この10年間積み重ねてきた人間不信のようなものから解放された感覚があるんですよね。

これもなかなか個人的にすごいなぁと思って、人にとって特別な人っているんだなぁみたいなことも思いました。


寛容さというのが僕の人生のテーマみたいになっている昨今ですが、僕としては寛容さを維持するために人と深く関わらないというやり方をしていたんですよね。でも彼女は他人と関わって傷つけられても、それをネタ化して許しちゃうみたいなことをしていて、なかなかの衝撃でした。すげー人がいるんだなって。まあ行き過ぎた寛容さは危うくもあるんですけどね。

とりあえず僕もそんな彼女を少しは見習いたいなーと思いながら、今年は僕がいままでスルーしてきた人達と飲みに行こうと思って片っ端からLINEを送った結果、すでに飲みの予定がやばいことになってますが、頑張りたいと思います。


彼女と会って僕だけが一方的に救われた感覚があるので、僕も形はどうあれ何か彼女の力になれたらいいななんてことを思いつつ、まあしかしそんなこと言われても彼女も困ってしまうだろうし、まあなんかそんな感じでやっていきたいと思います。


普段はあんまり私生活のことをネットには書かないですが、個人的には人生を変えるような出来事だと感じているので、この出来事を忘れないためにもここに書いておきましょう。

みなさまもよい出会いを。

ニートの時代

年の瀬になってまいりました。

僕はゼロ年代後半から2012年ころまでのインターネット文化圏が好きで、その勢いで仕事も組み込み系からWeb系へ転職したりもしたわけだけど、こまったことに最近はインターネットへの情熱というものもすっかりなくなってきていて、何か新しく好きなものを見つけないとなって思ってる今日この頃。


ゼロ年代後半の日本のインターネット圏は爆発的な普及期でありながらもまだまだ一般的な人が使い込むようなものではなくて、いわゆるオタク層に分類される人たちが先行して流入している状況でした。その中で、ニコニコ動画で動画コンテンツを誰でもストリーミング配信することが出来るようになり、いろいろな文化や思想が生まれました。


この時代のインターネットは大きく言えば社会的自由を指向していました。大人になったら社会の一員になって、どこかの会社に所属して、定年になるまでどこかの組織の一員として働く。そんな常識から解放される可能性をゼロ年代の後半のインターネットは感じさせていたのです。


その象徴的な話としてあがるのが当時まだまだ一般的にはマイナーな存在だったWikipediaで、まだまだ辞書として歯抜けな状態だった当時の状態からオタク系の記事だけがものすごい勢いで充実していきました。当時これらの記事を更新していたのが(象徴としての)ニート達であり、特定の組織に縛られず好きなものに向かって行動し続ける自由な人たちが主役になってこの新しい(そして全く優れている)文化圏を切り開いていくのではないかと言われていました。


しかしこの流れは2013年ころにはすでに明確に変わっていて、この頃からインターネットは流入してきた大量のサラリーマン達のものになります。無職はよくないものとされ、ニート的な価値観はネット上でも異分子とみられるようになり、炎上という形の圧倒的な正論の雨に打たれてニート的な価値観は打ち砕かれてしまいました。


そういう意味では東のエデンけものフレンズはなかなかそれぞれの時代の象徴的なアニメ作品かもしれません。

ブロガーのイケダハヤトさんとかにはゼロ年代の残り香が少し感じられたりもするのですが、基本的にこの手の人達は今では非常識な人として処理されています。


ゼロ年代後半のようなニートを称賛出来るような寛容さをもった文化圏は、おそらくもうインターネットからは生まれないかもしれません。

ただ僕としてはニート大勝利の可能性にこの先もベットし続けたいと思っているので、2018年はそういう可能性の生まれそうなものを探していけたらいいなと思っています。

ビットコインのブロックチェーンというものを超簡単にいってみる

仮想通貨がバブリーで何かと話題ですが

「ビットコイン」の終わりから「ブロックチェーン」の時代へ--中島真志

仮想通貨なんておまけみたいなもので、ブロックチェーンにこそ本当の価値があるという話をよく聞きます。


でも僕はこれには懐疑的な立場で、やっぱり仮想通貨にこそ本当の価値があってブロックチェーンはそれのおまけみたいなものだと思うのです。


世の中のブロックチェーンの解説って読んでもよくわかなかったりすることも多いですが、そこでブロックチェーンを超簡単にいってみることにチャレンジ。

ブロックチェーンは基本的にはただの配列。ただし、以下の特性がある。

  • 配列に要素を追加するのに(配列の要素を作るのに)あえてすごい計算コストがかかるような実装になっている
  • 配列の要素はその1つ前の要素の情報を復元する情報を持っている


これだけでまじでただの配列です。



仮想通貨では、P2Pを使ってこの配列を参加者みんながそれぞれのPCで持っている状態です。そして、誰かの送金があった場合は参加者みんなでこの配列に新しい要素(送金情報)を追加しようと試みて、一番速く要素を追加出来た人の配列がみんなに配布されることになります。

このように送金があった場合にはみんなのPCでそれを処理して一番速かった人の結果が採用されるので、特定の管理者がいない非中央集権型であるといわれているわけです。



ブロックチェーンでもう1つすごいと言われてるのが、この配列が改竄出来ないことです。しかしブロックチェーンがただの配列であるとすると、上記の特性の中にはどこにもセキュリティの特性はなく書き換えし放題のように見えます。


実はブロックチェーン自体には直接的に改竄を防ぐ仕組みはありません。ありませんが、ここまで述べた

  • 配列に要素を追加するのにあえてすごい計算コストがかかるような実装になっている
  • 配列の要素はその1つ前の要素の情報を復元する情報を持っている
  • 一番早く要素を追加出来た人の配列が最新版としてみんなに配布される

この3つの特徴を兼ね揃えることで、配列を書き換えることが不可能になるのです。


悪い人が配列を書き換えようとして失敗するまでの流れとしては、

  1. とりあえず配列の特定の要素を書き換える。(1億円げっと)
  2. ブロックチェーンの特性から、書き換えた要素の1つ後の要素は、書き換えた要素を復元出来なければならない。そのため1つ後の要素を作り直す必要がある。
  3. 1つ後の要素を作り直すと、こんどはその1つ後の要素も同様に作り直す必要がある。というのがどんどん連鎖するので、書き換えた後の要素を全て作り直すことになる。
  4. ブロックチェーンの特性から、配列の要素を作るのにはすごい計算コストがかかるので複数の要素を一気に作り直すのは超大変で時間がかかる。
  5. そうこうしてるうちに、他の誰かがどんどん配列に要素を追加していってしまうので、全部書き換えるのむりぽ。中途半端に書き換えた配列は誰からも見向きもされず電子の闇へ葬り去られる。


これがブロックチェーンが改竄出来ない仕組みです。

ただ同時にこれがブロックチェーンって流行らないのではと思う理由であり、この仕組みがちゃんと起動するシチュエーションってなかなか限られてると思うんですよね。

  • 常に(仮想通貨なら送金などで)配列に要素を追加するイベントが起き続ける必要がある。そうでないと改竄者が追い付いてしまう。
  • 悪意のある参加者のマシンスペックが他の参加者のマシンスペックの合計値を上回ってしまうと書き換えが可能。そのため、参加者はある程度たくさんいる必要がある。
  • 参加者は常にPCを立ち上げて配列に要素を追加する計算をし続けていなければならない。
  • あえて要素の追加に時間がかかるようにしているのでサーバー型に比べてイベント処理能力が低いため、イベントは処理能力を超えない程度の頻度である必要がある。


仮想通貨は、この制約自体が仮想通貨に合うように初めから設計されているので良い感じだと思うんですよ。ただ、今すであるものにこの制約を課すのはなかなか難易度が高いと思いますね。


もちろんその発想はなかった的なものが出てくるのかもしれないですが、少なくとも、うちの企業でも何か管理するのにちょっくらブロックチェーン使ってみよーみたいなノリで使えるようなものじゃないのではないですかねぇ。

セクハラを告発したり社会風刺を漫才に取り入れることの困難さ

なにかと話題の多い年末ですがいかがおすごしでしょうか。

セクハラ告発のはあちゅう氏 過去の「童貞」めぐる発言に批判相次ぎ謝罪 - ライブドアニュース

どうも世界ではこういうことになっているようで、なかなか大変だなぁって。


おっしゃる通りですが、今の流れでは両者が完全に連動してしまっているんですがそれは。


あとウーマンラッシュアワーが社会的な漫才をテレビで披露したところこれはこれでいろいろ言われているみたいですねー。


政権から攻撃されることはないでしょうが、現にこうして攻撃が始まっているんですがそれは。



まあ特にはあちゅうさんの件に関して、はあちゅう発言批判がセクハラ告発をトリガーとして始まってしまっているのがこの問題の難しさをよく表していて、人間誰でも欠点とかやましいことはあるから、こうやって批判されるのを恐れてみんな黙ってしまうんだよね。

それでもやっぱり勇気をもって発信した人はすごいですよ。

高学歴の就活に目を付けられると大変なことになる

niconico(く)の発表会をみていて、おぼろげながらタイトルのようなことを考えた。特に2010~2013年ころはドワンゴは日本を代表する企業だったので、特に企画運営側に新卒高学歴の人がたくさん流入してきているんじゃないだろうか?、と。

まあドワンゴに関しては妄想ですが、高学歴問題はある種の構造的問題ではあると思うので、思ったことは書いておこう。


本題

高学歴の人が優秀な社会人になれるかどうかは、それまで学んできた教養を生かせる仕事かどうか次第である。

僕の今の同僚には東大京大卒の人達も多いのだけれど、一応仕事としては専門職だから学校で学んできた知識をそのまま業務に活かしやすい。そのため彼らは概ね非常に優秀である。

しかし、例えば彼らがコンビニのアルバイトを始めたとすると、理系の研究室にこもって生活してきた彼らの中には非常に無能そうな人たちがごろごろいる。

コンビニで店員をやるのであれば、データサイエンスの知識よりも、手先の器用さだとか人当たりの良さだとか整理整頓の上手さだとかを採用基準にしなければならない。コンビニで店員をやるならば東大卒というのは実質的には何の意味も持たないが、ここで問題になるのが高学歴のブランド力である。これが採用担当者の目を曇らせてしまう。


ドワンゴを例にする。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったドワンゴにはそれなりに高学歴の応募があったと思われる。例えばドワンゴの新卒求人に対する応募が3件あったとして、その3人の学歴がそれぞれ「早稲田、Fラン、Fラン」であったとする。よほどとがった採用担当者でもなければ、この中から一人を採用しようという場合には早稲田の学生を採用するだろう。普通に。


本来であれば応募者の職種に対する能力が高いかどうかを吟味する必要がある。今の状況に照らして考えるなら、例えばユーザーが盛り上がるコンテンツを企画出来るかどうかとか。しかしこの能力を見極めるのはなかなか難しいので採用担当者が非常に頭を使うことになる。専門職は比較的採用基準が分かりやすいが、企画運営とかになってくるとこの能力を計るのは非常に難しい。

そんな途方にくれた採用担当者の前に差し出されるのが学歴という甘い罠だ。


仮に「ユーザーが盛り上がるコンテンツを企画出来る能力」が学歴と相関がないとすると、3人の中から最も高学歴な早稲田を選択するというのは、採用担当者が何も考えずにあみだくじで採用を決めているのと同じである。

そんなあみだくじ採用が積もり積もると、みんなに期待されている新バージョン発表会で変なミニゲームを発表しちゃう会社が出来上がるのである。


以上です。