コミュ障克服論
自分は生粋のコミュ障で、昔はいろいろと苦労したけど、ここ数年でコミュ障をかなり改善できた。今では、知らない人と一時間話しても特に困らないくらいにはなった。
せっかくだから、僕が考える「コミュ障克服のために重要な3つのポイント」をまとめておく。
1. コミュニケーションの基本姿勢:相手を気持ちよくさせる
コミュニケーションにおいて大前提となるのは、「相手を気持ちよくさせる」こと。つまり、会話をする相手を接待する感覚で臨むということだ。もちろん、自分も気持ちよくなりたいという欲求はあるけど、100のうち60くらいは相手を楽しませることに集中するイメージを持つ。
この姿勢を持つことができるかどうかが、コミュ障克服の鍵だと言っても過言じゃない。よく「ナンパがコミュ障克服にいい」と言われるのも、この接待の感覚を身につけるための練習になるからだ。相手を楽しませられなければすぐに会話が終わってしまうような環境で場数を踏むと、自然に「コミュニケーションは接待」という実感が湧いてくる。
とにかく、相手を気持ちよくさせる姿勢を持つことが大事だ。
2. 楽しませる自信を持つ
コミュニケーションが接待だということは理解しても、「自分が本当に相手を楽しませられるのか?」という不安があると、実際に接待するのが難しくなる。この不安を抱えたままだと、相手にも伝わってしまうし、自分も堂々と会話をリードできなくなる。
この自信は、成功体験からしか得られない。つまり、「自分と話している相手が楽しそうにしてくれている」という経験が積み重なることでしか養われない。そして、これを鍛えるのに最もわかりやすいのが恋愛だ。恋愛感情がベースにあると、会話の内容が特別面白くなくても、相手が楽しんでくれているように感じられることが多い。その経験が、自然に「自分は相手を楽しませることができる」という自信に繋がる。
まあ、恋愛したくてコミュ障を治したいのにそのためには恋愛が必要というのは圧倒的絶望感しかない話だが、恋愛というのが効率のいい練習の場というのは間違いない。
3. 聞き上手になるための知識と経験
最後に、相手を楽しませるための具体的な技術について。2で書いた自信をつけるというのはなかなか勇気がないとできないが、技術を磨くことは一人でも出来る。
コミュニケーションの技術というと、多くの人が「聞き上手になることが大事」と言う。しかしこれは一朝一夕でできる事でなく、聞き上手になるためには広い知識と経験が必要だ。例えば、釣りが好きな人と話す時、こちらが釣りについて多少でも知識があると、会話がスムーズに進む。逆に、全く知識がないと、相手の話をうまく引き出せないし、聞き上手になるのは難しい。
ただし、専門的な知識が必要というわけじゃない。釣りに限らず、相手の趣味や興味について「大まかに知っている」ことが重要。つまり、幅広い教養が求められるということだ。それに加えて、自分が実際に経験したことがあれば、さらに会話が弾む。
教養と経験を積み重ねることが、聞き上手になるための秘訣だ。ただし、その知識や経験をひけらかしてはいけない。あくまでも相手の話を引き出すための道具として使うべきだ。
よくオタクにコミュ障が多いのは、知識や経験の幅が偏ってしまうからだと思う。何かに没頭するのは素晴らしいけど、それだけだと会話の幅が狭くなってしまう。だから、好きなことにだけ時間を使うのではなく、他にも興味を広げることが大切だ。例えば、YouTubeでお気に入りのYoutuberだけを見るのではなく、暮らし系の動画や歴史、動物などいろんなジャンルを見てみるのもいい。
さらに、何か新しい知識を身につける時は、その歴史も調べてみるといい。歴史を知っていると、単なる経験よりも深い理解が得られて、相手の話をよりうまく引き出せる。
コミュ障改善の知識というと、コミュニケーションハウツーみたいなものを学ぼうとしてしまうけど、ハウツー系のものはほぼ実践出来ないと思っていた方がいい。学ぶべきは様々な教養だ。地道に雑食的に色々なものを学び続けることだ。
この3つのポイントを意識してコミュニケーションに臨めば、自然とコミュ障を克服できるはずだ。自分の経験をもとにした意見なので、ぜひ参考にしてほしい。
ひろゆきについて
ひろゆきと東出ちゃんの旅のやつ見てると、15年くらい前にひろゆきとホリエモンがニコニコで話してるのを見た時の人生が開けたような感覚を思い出す。
ひろゆきはやっぱり社会不適合者の王様みたいな人で、この社会を社会不適合者が生きていくための方法論を実践してる人だろう。社会をゲームに見立ててゲームをプレイするように生きていく。この複雑怪奇な世の中をゲームのようにシンプルな世界と捉え直して、「みんなが正しいと思うことをやる」のではなく「自分が正しいと決めたことをやる」。それで何か問題が起こっても「自分は正しいと思ったことをやったのだからしょうがない」とする。そういうルールのゲームなのだ。
この方法論はおそらくかなり正しい方向にある。今この社会にストレスを感じている人は、他人軸ではなく自分軸で社会のルールを捉え直すことで、この社会の生き辛さから距離を取ることができる。そして自分の長所に蓋をしない。
ただ、やっぱり現実の社会はとても複雑なので、この方法論では社会の複雑さを取りこぼすという問題があり、この方法論が社会全体の意思決定に影響を及ぼすようになると、それはとても問題だ。これが世にいう「ひろゆき問題」なのだと思う。別の言い方をすると、失敗してもいいから突き進んだ方がいいというのは個人や組織戦略としては重要だけど、社会全体としては失敗のリスクが大きすぎるからその方法論はあまり良くないということ。これはおそらく民主主義が成功して社会主義が失敗した理由でもある。
全ては割り込みタスクをなくすためにある
ウォータフォール開発とかスクラム開発とか色々あるけど、こういう開発フローを整備するのは、「メンバーが特定のタスクに集中できる」のと「全体が円滑にプロジェクトを進めていける」の両立が目標だろう。
ただ、特に小さい組織とかだと、柔軟性に振り切ってアジャイルでバンバン臨機応変にやってくぞいという感じのノリもあったりする。しかしやっぱりこのやり方だと↑の2項目の両立がなかなか難しい。特に前者が難しくて、メンバーが日々発生する割り込みタスクに振り回されるようになる。
人間というのは勤務時間中に机に向かってる間だけ仕事してるわけじゃなくて、仕事が終わって風呂に入ってる時や、寝る前や、朝起きた時とか、そういう色々なタイミングで次はあの仕事をこんなやり方で進めてみようと考えたりとか、常に仕事をしている。というか、ヒラメキとかはそういうタイミングで脳が無意識で仕事をしていると降りてくる。
ところが割り込みタスクが日常的に発生するプロジェクトは、せっかく勤務時間外に無意識で仕事をしてくれる脳の機能を停止させてしまう。これが非常に問題で、メンバーの生産性を著しく損なう。
マイクロマネジメントがよくないと言われるのも突き詰めるとこれで、マイクロマネジメント下では割り込みタスクがオンパレードになるので、メンバーは勤務時間外の仕事を諦めて、勤務時間中だけ言われたことをただただこなすようになる。
まあつまり割り込みタスクというのはいついかなる時でも最悪な出来事で、これをいかに減らしつつ、とはいえ突発的なタスクもある程度柔軟に対応できるようにプロジェクトを運営するかというところに、偉い人たちは苦心している。逆にいうと、これに苦心しない偉い人のいる組織は結構大変で、人がどんどん辞めていく。
心理的安全性の混乱についての所感
心理的安全性という概念が混乱し続けているという記事をみた。
超ざっくり書くと以下のような内容だ。
現在は1の誤解がとても蔓延している状況であり、2の正しい理解を獲得しようという話だ。
この混乱は、日本社会で心理的安全性を実現しようとする場合の限界を示しているのかもしれない。心理的安全性の実現が根本的に困難であるため、「怒られない」という安易な方法で進めるしかなかったのではないだろうか。
なぜ日本で「対人リスクを取れる職場」の実現が難しいのかというと、別の文脈でよく語られている「共同体の崩壊」があるからだ。共同体が崩壊した状態とは、生活から地域コミュニティや血縁コミュニティなどが失われ、所属しているコミュニティが会社しかないという状態である。日本のサラリーマンが退職後に人と会う機会が極端に少なくなってしまう問題というのはよく目にする。共同体が崩壊している世界では、職場は仕事以上に人とのつながりを重視する場所だ。
共同体が崩壊した状態では、職場の心理的安全性はどうしても損なわれる。対人リスクを取れる職場環境を作るためには、対人関係とビジネスとを適度に分離したものと割り切る必要がある。しかし、職場外に相談できる人達や愚痴を聞いてくれる人達、つまりどうしても困ったら助けてくれる人達がいない状態では、職場での対人関係をビジネスだと割り切ることは難しい。職場とは他者と交流するための貴重なコミュニティの場であり、ここでの対人トラブルの影響は単に仕事に支障が出るだけでは済まない。
この問題では日本ではすでに顕著だが、最近では欧米でも教会コミュニティが急速に失われており同様の事態に陥る可能性があり、日本はすでに先を進んでいるとも言える。したがって、欧米で言われてるものとは少し違う仕方でアプローチをする必要がある。それは職場だけでなく生活環境全体を考慮するということだ。どのような生活環境が整っていれば、心理的安全性の高い職場を実現できるのか。この問題について考える必要がある。
脱占いの世界とポリコレ
占いというものがある。これは非常に歴史の深い人の営みで多くの人生を導いてきた。しかし科学技術が成熟した現代社会では、「占い」というものはすこぶる評判が悪い。今の世界から見ると、占いというのは科学的根拠のない適当なことを言って人々を惑わすものにしか見れないからだ。占いなんてものを信じるなんて、というのが現代社会では一般的な見方である。
ところで最近では、そんな評判の悪い占いというものを再評価する論理もある。曰く、「人がよく考えて行動を選択すると固定観念の沼にハマるから、占いのような適当な行動指針が適度に外部から提供されていた方が、柔軟に考えて行動することができる」というものだ。これはかなり的を得ている話で、人の思考能力の限界を指摘している。人はよく考えたからと言って常に正しい結論に到達するわけではなく、むしろ逆に、考えれば考えるほど固定観念の中で間違い続けてしまうということがある。占いはこのような沼から人を救い出してくれることがある。
ここまでは個人と占いとの関わりに関しての話だったが、これは社会全体にも通用する話だと思う。
ニーチェが「神の死」と言ってから100年が経ち、現代社会はますます宗教や占いといった適当なことを言うものから距離をとり、論理によって考えようとなってきている。そしてかつて宗教が担ってきた道徳の基盤を、もっとちゃんと考えて再構築しようとなっている。そのような新しい道徳が、今の社会で活発に議論されているポリコレといったものである。
最初に述べた占いの話は社会全体に対しても適用できる。「人がよく考えて行動すると固定観念の沼にハマる」というものだ。僕の視点では、現代社会はこの問題に片足を入れ始めているように見える。かといって宗教や占いはもう使えない。だとすると別の「適当さ」を考える必要があるのだと思う。固定観念の沼から抜け出すには、外部から適度なランダム性が提供されていることが大切だ。
エニグマを作る
エニグマ作った。
エニグマとは
エニグマは第二次大戦時にナチスドイツ軍が使用していた当時最強に堅牢と言われていた暗号化ツール。これはドイツ軍が作ったものではなくて民間企業の商品だったようだ。ただ、エニグマの暗号化端末があまりにも高価すぎて全く売れなかったらしいのだけれど、ちょうど強い暗号化ツールを探していたドイツ軍の目にとまって採用されたらしい。
結局は、誰でも(敵国でも)手に入れることが可能な商品だったことと、暗号化パターンが現代から考えるとそこまで膨大ではないというのが致命傷だったようだ。とはいえ人手で解読するのは到底不可能だが、チューリングがボムという解読機械を開発したことにより、イギリスに解読されてしまう。これによりドイツの敗戦が数年早まったらしい。
余談としては、イギリスはエニグマの解読に成功したことを公表しなかった。その上で、高性能な暗号化システムだと言ってエニグマを世界中に売りまくった。これにより、イギリスだけが解読可能な暗号が色々な国で使われるという状況を作ったらしい。ほんと、20世紀前半のイギリスは狡猾だ。
エニグマの仕組み
エニグマを使うと例えば「test」という文字列が「gdse」というように別の文字列に置換される。一文字ずつ別の文字に変換しているだけ。
エニグマの仕組みは本当にシンプルだ。簡素化したフローは以下。
キーボード -> 変換ローラー(任意の個数)-> リフレクター -> 変換ローラー(逆順)-> ディスプレイ
実際に文字の置換を行うのは変換ローラーだ。変換ローラーの役割も非常にシンプルで、単純にアルファベット文字を別のアルファベット文字に置換するだけである。エニグマではこの変換ローラーを複数繋げることで、置換パターンに多様性を持たせている。
このような変換表に基づいて一対一で文字を置換する形の暗号文は、同一文字が常に同じ文字に置換され、文字の出現頻度などから解読されてしまうリスクがある。そこでエニグマでは、同一文字が同じ文字に置換されないように、1文字打つごとに変換ローラーが決まった量だけ回転して、別の置換表が適用されるようになっている。これにより、文字ごとに異なる変換ルールを適用することが可能になる。またローラーの回転の仕方は全端末で統一化されているので、ローラーの並び順と初期位置さえ共有されていれば同じルールで暗号化を行うことが出来る。
エニグマの便利なところは複合化が簡単というところ。複合化を行う場合は、暗号化時と同じローラー順で同一初期位置に設定されたエニグマに対して、暗号文を入力して暗号化を行うと複合化された文章が出力される。とても簡単。これは暗号化の際にリフレクターを間に挟んで変換ローラーを逆順にも流すことで実現している。まあ、複合化が簡単というのが暗号システムにとって良いのか悪いのかというのはあるが。
エニグマを実装した
上記でエニグマの仕組みを説明したが、当時はこれを全て機械仕掛けで実現していた。変換ローラーは本当にローラーで、キーボードで1文字入力するとローラーがグイーンと決まった分だけ回転するらしい。これが非常に精密な機械になるので、一台あたり数百万円したらしい。そりゃ売れない。
ところが今の我々にはまさにチューリングマシンたるコンピューターがあるので、コンピューター上で動作するエニグマが数時間あれば作れてしまう。しかもGithubというなんか作ったものを公開できる風のやつがあるので、無料で配布できる。これが人類100年の成果のようだ。
エニグマ
https://yfujita.github.io/enigma-chan/dist/enigma.htmlソースコード
GitHub - yfujita/enigma-chan生産性の向上
生産性の向上にはざっくり2つの側面がある。農業や工業など作った分だけ売れる目処がある産業の場合、生産性を向上することで売り上げが増加する。一方で、情報産業やサービス業などは最終的には市民の時間という有限リソースを奪い合う形になるため売上に一定の制限がある。その中で生産性を高めることで人員は削減される。
前者の場合は構成員の幸福度は問題なく向上するが、後者の場合は、削減された人員分まで考慮すると全体の幸福度はむしろ下がっている。つまり、生産性の向上というのは、利益の増加が見込めるか、あるいは人員削減により職を失った人が新しい環境で挑戦できる仕組みとセットになっている必要がある。そうでない場合は全体の幸福度は低下する。