ドールにくびったけ

先週末に秋葉原ラジオ会館に遊びに行ったのだけど、コロナの感染者数が東京でも過去最多を更新とか言われてるなかだったけど、みんなマスクしてる以外はいたって日常的な秋葉原だった。老若男女外人さんもたくさんいたし、客引きのメイドさんもたくさんいたし。


僕は最近週一で渋谷に通っていて、渋谷はなかなかたくましい街だなあと感じていたけど、秋葉原も負けていない。


まあ、そんなわけでラジ館内を物色していて、初めて7Fと8Fにあるドール屋さんに行ってみた。ドール屋さんとか行ったの初めてだったのだけれど、これがもうほんとかわいくてお迎えしてしまうかもしれない。やばい。


7Fのお店はazoneというブランドのお店。ここのドールたちの中でも「Alvastaria」というシリーズが独特の世界観のかわいい衣装を纏っていてすごく良かった。

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Alvastaria::商品詳細


いやーこれはかわいい。ドールのかわいさの半分は衣装のかわいさだね。近くでよく見れば見るほど服がよくできててかわいい。あー連れて帰りたい。みなさまも秋葉原に行った際には是非ラジ館の上の方へ。8Fのお店にはさらに大き目な初音ミクのドールとかも飾って合って、これがまたすごい。

ツイッターを離れる

最近ツイッターを辞めた方がいいのではないかと思って、少し距離を置くようになった。


ツイッターは10年来使ってきていて、2010年代は僕の生活の1つの中心であった。まあその中で色々と問題も見えてきていた。そういえば2017年ころにはSNSヤバイという曲を作ったりなんかしてたので、まあこの頃にはかなり確信をもってツイッター良くないと思っていた。


基本的にはツイッター各種問題は、その使い方に問題があるという風に考えていたのだけれど、今年に入ってからはツイッターそのものに原理的な問題があると強く考えるようになった。


元々ツイッターというのは、普段はなかなか話せないようなプライベートな話をみながツイートすることで、多様な価値観が可視化されるような場所だった。それが好きだった。


人と人とが接触すると「誰かと話して考え方が変わった」という現象が起こる。この現象は一般的には良い事だと受け取られる。誰かと話て世界を広げられたのだ。しかしながら、「考え方が変わった」ということはそれまで考えていた事はどこかにしまったということなので、損なわれたものも確かにあるのだ。


SNS上では人と人との接触が過剰になるため、「考え方が変わった」という出来事が頻繁に起こる。特にツイッターにはいくつかの響きの良い話や、心が躍る友敵構造があるので、ユーザーはそちらの方向に考え方を変えていく。時として、自分の考え方が変わったことに気が付かない。みなが考え方を変えていった結果として、多様だった考え方は有限のパターンに収束し、他の誰かと同じことを話し始める。SNSはそういう構造になっている。


今年いろいろと話題だった「ハッシュタグで政治参加」みたいなものはこの同化現象の1つの極致である。200万人だか300万人だかがたった数十文字のissueに賛同する。そのうちのほとんどの人は元々そんなもの気にも留めていなかったはずだ。しかしあのハッシュタグがタイムラインに流れてくると、それは強い強制力持っていて、それを見かけた数分後には(まるで自発的かのように)ハッシュタグをツイートしてしまう。しかしそれは政治参加をしているのではなく、ただSNSの同化構造に取り込まれただけなのである。


宇野常弘さんがよく「SNSの登場によって、人々が考えてることはみなほとんど同じだということが明らかになってしまった。」と言ってるのだけど、僕としては元からそうだったのではなく、多様な感性や価値観がSNSにより損なわれてしまったのだと考えている。


結局のところ、個々人が自分独自の考え方を維持し続けるためにはそれがある程度「秘密」になっていることが重要であり、その秘密は当人にとって信頼のおける人に対してのみ開示されるべきものであり、その秘密の内容を公開してみなで議論しようなどということをしてしまうと、既存のパターンに収まるように矯正されてしまうのである。


別の言い方をすれば、ツイッターというのはPrivate空間の新しい形だと思われていたが、それは幻想で、ツイッターというのは完全に従来どおりのPublicな空間であり、Publicなものに対して何かをしようという気は僕にはないのだ。それに過剰に関わると、矯正されてしまうからである。


この現代的な問題を解決するためには、上記のSNSの構造を脱構築する必要があるが、しかしそれをSNS上で行おうとすると原理的に自らがSNSの構造に取り込まれてしまう。


これは余談だけど、民主主義というのは案外プライベートが重要である。人と人同士がある程度疎結合の状態になっていることが、民主主義のシステムとしての堅牢さを担保している。SNSが出来て社会的な議論が活性化したことにより、人同士の密結合化が起こり、民主主義というシステムが脆弱になっている可能性が高い。皆で議論して1つの結論を導き出すというのは、誰かが1人で考えているのとあまり変わりがない。個々人がそれぞれバラバラに判断して投票出来ることがなによりも重要なのだ。個々人のユニークな判断力がSNSの同化構造にハックされた瞬間に、民主主義の堅牢さは損なわれる。

ギターのスケールというものの考え方

ギターを始めるとある段階で誰しもが出会う「スケール」というものがある。メジャーとかマイナーとか、音階の種類のことで、ギターもある段階まで来ると色々なスケールを弾けるようになろうというものが始まるのだ。


ところが当時の僕はとにかくもうこれの意味が分からなかった。たぶん順序としてギターと同時に作曲も始めてたのが影響している。


例えば、

「Dマイナーコードの上では、DマイナースケールまたはDドリアンスケールが弾けて、マイナースケールだと暗い響きになって・・・」

という話がとてもよく出てくるのだが、もう何が何だかちんぷんかんぷんだったのだ。


というのも、「Dマイナーコードの上ではDマイナースケールあるいはDドリアンスケールが弾ける」なんてことはなくて、あるDマイナーコードの上で弾けるスケールはその前後のコード進行(つまりキー)によって一意に決まるのだ。ギターよりもむしろ作曲の方に熱心だった当時の僕はそれを知っていたので、その後出会ったギターの教則に出てくるスケールの説明が何を言ってるのか分からなかったのである。


でも最近改めてギターの勉強をしているうちに、そこがなんとなく整理されてきた。


まず「このスケールが弾ける」というところについては「たくさんあるDスケールのうちのどれか1つが弾くことが可能」という意味で捉えるのがいいだろう。全てのDスケールを覚えていれば、たしかにそのうちのどれか1つは弾ける。


次に「Dマイナースケールを弾くと明るくなって、Dドリアンスケールを弾くと哀愁感が出る」というスケールの響きについての話だが、これは結果的にそうなるという感じで捉えるのがいいだろう。基本的にはスケールはコード進行によって決められるものであり、演者がコードの上で自由に曲調を選択するために使うものではない。(コード進行の解釈の仕方という面白そうな話はあるが)


くらいで捉えると、個人的にはだいぶすっきりする。


もう1つ重要なことが、現代ギターのルーツがポップスでもロックでもなくブルースにあるというところだ。そのため教則本に出てくるようなギターの基礎的な理論には大いにブルースの要素が含まれている。


ところがこのブルースというのは現代のロックやポップスとは少し様子が違う。今の音楽はコード進行の妙で曲調を出していくことが多いが、ブルースではコード進行が決まっていて、その決まったコード進行上でいかにかっこいい演奏が出来るかという音楽なのである。おまけにブルースのコード進行ではコードの種類もだいたい3つしか出てこない。


決まったシンプルなコード進行の上でいかにかっこいい演奏をするかというブルースの話の上では、「Dマイナーコードの上では、Dマイナースケール、またはDドリアンスケールが弾けて、マイナースケールだと暗い響きになって・・・」というスケールについての説明の仕方はずいぶんしっくりくる。コード進行で差異が作れない分、スケールで違いを作るのである。ジャズではさらにスケールの自由さが許容されているように思う。


だからギターの教則本とかでのスケールの説明の仕方はああいう感じになっているのだろうと思う。

SHISHAMO 「明日も」のコード進行を見てみる

www.youtube.com


イントロ
「D♭→F→B♭m→A♭m→D♭→G♭→Fm7→B♭m→E♭m→G♭→A♭」

→よく分からんので半音上げ「D→F#→Bm→Am→D→G→F#m7→Bm→Em→G→A」


Aメロ
「D♭→G♭→Fm7→B♭m→E♭m→A♭→D♭」

→半音上げ「D→G→F#m7→Em→A→D」


Bメロ
「F→B♭m→E♭m→G♭→A→A♭→B」

→半音上げ「F#→Bm→Em→A#→A→C」


サビ
「G→B7→Em7→Dm7→G7→Cm7→Bm7→Em→Am7→Cm7→Dm7」



もっとハチャメチャかと思って書いてみたけど、こうやって見るとそこまで奇抜でもないかな・・・。どこまで狙ってやってるのか分からないけど、こう見るとサビのDm7が特に目立つけどG↔Gmのモーダルインターチェンジで説明出来るのだろうか。Cm7はわりとよくあるサブドミナントマイナーともみれる。でもCmの7th(B♭)はブルーノート的なものともとれるがかなり怪しい響きをしている。サビのB7とかBメロのFとかは、マイナースケールで見た時のドミナントコードか。


むかしBメロ→サビの転調がおかしいと話題になってたけど、フレーズライクにコードを転調先のドミナントにもっていって一気に転調しちゃうというのは、けっこう僕もやる。つまりBメロ最後のBはEmのドミナントで、EmとGは親戚みたいなものなので、意外といける。


まあしかし全体的にバレーコードで抑えやすいテンションコード(7th,9th)だけを採用しているので、あまり考えず感覚的に作ってこうなってるのだとすると、なかなかの天才肌ですな。

誹謗中傷をやめるというのは

テラハの出演者が亡くなったというニュースがあり、おそらく誹謗中傷を受けたことを原因とする自殺だろうとして広がっている。

news.yahoo.co.jp


これをうけて誹謗中傷なんてやめようという言説が有名人を中心にして広がっている。これで誹謗中傷がなくなるのならいいのだけれど、実際のところ何も変わらないだろう。


誹謗中傷と批判は違うという話は強い。もちろん悪いことがあれば批判は必要だろう。しかしこの2つがどう違うかというのはなかなか難しい問題だ。木村さんに対する誹謗中傷も批判のつもりだったのかもしれない。


僕はポストモダン好きなので、基本的には、物事の意味というのは作者の意図ではなく読者の解釈で成り立っていると考えている。それはこの件でも同じで、批判者の意図ではなく被批判者の解釈が重要なのだ。相手が誹謗中傷だと感じたならばそれは誹謗中傷なのである。


つまり批判が必要であるとする以上は原理的に誹謗中傷は無くならない。それが批判なのか誹謗中傷なのかは受け取る側の解釈だからだ。


ならばせめて、批判が誹謗中傷と受け取られないように努力をする必要があるだろう。それには礼儀をもつことだ大切だ。それは単に敬語を使えばいいというものではない。相手に最低限の敬意をもち、相手にとって失礼にならないように気を付けるという、元来はコミュニケーションの大前提だったはずの何かである。

お家のギターシステムを考える

コロナが来てからというものひたすら家でギターを弾いている。今まではギターをそこまで弾いてなかったし、コンパクトエフェクターを直列に並べて弾いてたのだけれど、ずっと弾いてるともうちょっと快適にしたいと思うようになってきた。なのでコロナの定額給付金を元手にお家のギターシステムを刷新しようと思う。


マルチエフェクター

マルチエフェクターが1つあればだいたいなんでも出来る。まず候補になったのはBOSSのGT1000。


GT1000はなかなか評判もいい。お値段は10万円くらい。多数のエフェクトが内蔵されているし、プリアンプの質も前モデルに比べて大きく向上したようだ。ただ、これを買ってしまうとおそらくもう全てをこれでやることになりそう。センド/リターンが2系統なので、せいぜいプラスαで歪み系エフェクターを繋げるのが精いっぱいだろうか。そうするとエフェクター収集の楽しみがなくなってしまいそうだ。


そこで次の候補はLine6のHelixだ。

Line 6 マルチエフェクトプロセッサー Helix

Line 6 マルチエフェクトプロセッサー Helix

  • メディア: エレクトロニクス


これはマルチエフェクターなのになんとセンド/リターンが4系統もついている。なのでかなり色々出来そう。ただ、お値段が20万円する。センド/リターンを2個増やすためだけに+10万円払うのはさすがにコスパを考えてしまう。


スイッチャー案

マルチエフェクターがいまいちしっくりこないので、スイッチャーを買ってコンパクトエフェクターをたくさん繋げるのが良いのではないかと考えた。

BOSS ボス  Effects Switching System スイッチャー ES-8

BOSS ボス  Effects Switching System スイッチャー ES-8

  • 発売日: 2015/05/28
  • メディア: エレクトロニクス


BOSSのES8。驚愕の8系統のセンド/リターン。もうこれ買っておけば間違いない感しかなくってきた。


スイッチャーに何をどう繋げるか。理想を考えてみた。

  1. オーバードライブ
  2. ディストーション
  3. ブースター+ディレイ(ソロ用)
  4. ディレイ(MIDIでバンク操作が可能なやつ)
  5. モジュレーション系マルチエフェクターMIDIでバンク操作が可能なやつ)
  6. ワウペダル


これでまだあと2個もさせる!うーん、いくらかかるんだこれ、、


ディレイの候補

[国内正規品]Strymon::TIMELINE

[国内正規品]Strymon::TIMELINE

  • メディア: エレクトロニクス

ラルクアンシエルKenのやつもよさそう。


モジュレーション系マルチの候補

最強のふたり

最強のふたり (字幕版)

最強のふたり (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video


2011年公開のフランス映画。事故で全身不随になったお金持ちの人と、その世話係として雇われたヤンキーと、2人の友情を描く作品。実話が元になっているらしい。


全身不随者とその介護の物語と聞くと暗く思えるが、観ているとめちゃハッピーな気分になれるイカした映画だ。


もともとクラシック音楽や演劇など品の高いものを好むお金持ちのおっちゃんが、ヤンキーの影響を受けてどんどん素行不良になっていく。逆にヤンキーのあんちゃんは、お金持ちのおっちゃんの影響を受けて教養を身につけていく。


これは批評家の東浩紀さんがよくキーワードにしている「誤配」で、本来出会わないもの同士が何かの拍子に出会うと、何かよく分からないことが起こる。このよく分からないことを大切にする。お金持ちのおっちゃんはその世界にいたままでは自らの状況に悲観したままだったし、ヤンキーのあんちゃんもその世界にいたままでは将来の展望の全くない荒れた生活のままだった。でもその2人が出会うとイカしたことが起こる。


僕はちょこちょこヤンキーとオタクの話をするのだけど、この2つはどっちが良いとか悪いとかという話になりがちだけど、そうではなくてこの2つが交わることが一番大切なんだと思っている。たとえばネット上では渋谷ハロウィンへの批判が大きいが、そうではなくためしに見物に行ってみると、よく分からないことが起こるかもしれない。そしてそれは人生を一変させるような出来事なのかもしれない。


www.youtube.com