このてーしょんの攻撃性について
怒られた。とはいえ僕としてもこれを引っこめるわけにはいかない。僕の経験では誰かに攻撃を受けてる最中(特に炎上のように多数の人から攻撃されてる最中)にあっては、このような第三者を装って客観的かつ公平な立場からそれでいて攻撃者を正当化する意見で介入してくるアクターの隠された攻撃性が一番きついからだ。
今年初めのイケハヤ炎上で、けんすうさんの振る舞いが本当に嫌でね。あの炎上で「田端さんはアドバイスしてて良い人だね」と言ってみたりとかイケハヤが頼りにした家入さんと遊んでる写真をアップしたりとか、良い事しかしないで誰かを攻撃する人って、僕としては本当に近寄りたくないタイプだな
— meu (@meumeu69) 2019年1月26日
この世界にははじめから解釈しかないんですよ
— meu (@meumeu69) 2019年1月27日
事実がないというのは1つの言葉でも同時に複数の意味を持つという意味です。イケハヤさんが攻撃されたと思ってないならそれでいいとは思いますが、自分を攻撃しに来てる人を表立って「正しい」と不特定多数に向けて表明しているのだから、僕は普通に考えて自分への攻撃だと解釈します。
— meu (@meumeu69) 2019年1月27日
ところでそれはおいといて、事実があるとかないとかいう話になったから、これについて補足を書いておく。
言葉が持つ意味は大きく以下の2つに分けられる。
デノテーション:言葉の辞書的な意味。
コノテーション:言葉が文脈や状況などから喚起する言外の意味。
けんすうさんが事実はあると言っているのはデノテーションのことを指している。しかしデノテーションというのは必ずしもコノテーションに対して優位というわけではなく、受け手に喚起するあらゆる状況下における平均的な解釈でしかない。
たとえばもっと分かりやすい例としては「あなた在日でしょ」という言葉。デノテーションとしては、僕があなたに対して在日韓国人なのではないかという予測を伝えているだけだ。しかし同時に今の日本ではこの言葉は人種差別的な攻撃だと解釈することが出来る。このように、攻撃的な言葉を用いなくてもコノテーションだけで他者を攻撃することは簡単に出来るのだが、この攻撃への対処がなかなか厳しい。あなたがこの差別発言に怒って「差別すんじゃない」と言い返したとする。そうなったら僕はこう返せばいい。
「差別をしたという事実はない。勝手に解釈するな。」
特に多数派に立っている場合はこの主張は強固なものとなり、これに対する反撃はほぼ不可能になる。
これに対してどのように対処するのがいいのかはよく分からないところではあるけれど、「この世界には解釈しかない」という方向で行こうと決めたのは1つの試みで、まずこの反撃不可能の構造自体を暴かないとだめかなと思う。争点にすべきは事実の所在ではなく解釈の正当性なのだ。
という話を140字の中でももう少しちゃんと出来たかもしれないけど、やはり140字はきつい。