理性社会の中心に存在する非理性

リベラルは、人間社会というものを理性で制御することで諸々の問題が解決可能であると考える。しかしこの社会の中心には有性生殖(性愛)という非理性が存在している。この非理性は絶対的なものであり、これが機能しないと社会を存続することが出来ない。


社会を理性で制御したい現代社会と、しかしどうしても逃れられない非理性との間に生ずる歪みが問題となる。理性社会はあの手この手で非理性の押さえ込みを行う。極端な言説を挙げれば、全て人工子宮を使って性愛なしで子供が作る社会にしようというような話も、技術的なハードルがあるとはいえ真面目に語られることもある。そこまでいかなくとも、「ノーマル」でない性愛に対する締め付けを強化しようというのは、現代の一般的な傾向である。


しかしどんなに制御をしようとしても、人の非理性的な欲望は残り続ける。非理性を認めないというのは抑圧に他ならず、抑圧された心は時にはとんでもない問題を引き起こすし、そもそも継続的な抑圧が技術的に実現可能かも定かではない。


そのため、人間社会を考える際には非理性を内包した理論を作る必要があり、理論を考える際には常に抑圧との関係を考慮する必要があり、非理性について思考停止しないことこそが本当の理性なのだと思う。非理性を単なる厄介な問題として扱っているうちは、ただの思考停止である。