セックス
ちかごろ性欲について考える。
まあこれは個人的な考えで多様な性の形態のような話も完全に無視するが、男性の性欲というのは女性の身体を支配するというところに根差していて、逆に女性の性欲は男性に身体を支配されるところに根差しているんじゃないかと思う。
だから自然状態においておくと、両者の思惑の結果、男性が支配しやすいように女性側にどんどん制約が課されていく。ざっくばらんに言えば、女性側に何らかの制約が課されているという状態はエロい。
もちろん人には性欲以外の価値観があって、近年その存在感はどんどん大きくなってきて、女性側の制約をなくしていこうという運動が盛んになってきている。しかし一方ではたしかに性欲が存在している。
これはとても二重人格的であり、昨今のオタクフェミ論争のような混乱の元になっているだろう。
僕はオタクフェミ論争についてはどちらも言ってることが理解出来る。オタク側の表現の自由的な話も分かる。しかし一方で、フェミがオタク的女性表象に対して怒るのも分かる。それは上記の通り、エロと女性の社会的制約というのは直結しているからだ。そしてある意味では、オタク的二次元の女の子というのは女性に対してあらゆる反抗をゆるさない究極の制約を課した状態であるといえるからだ。またその一方で、エロくありたいという女性たちがいるのもまた必然である。
東のエデン
山と山との間を流れる川が侵食して出来た小さな平地が僕の町だった。空は小さく、東西南北どこを見渡しても視線はすぐに山で遮断される。
町の外とは物理的に遮断されていて、川の崖沿いに敷かれた一本の道か、トンネルを何個も通り抜けなければならない電車だけが町の内と外とを繋いでいる。(これらの通路がたまに土砂崩れなどで破壊されると大変なことになる。)
僕は小学生の高学年のころには山の向こう側に強い憧れを持つようになる。特に東の山の向こう側だ。東の山の向こう側には、文字通り東の都、東京があるのだ。だからか僕はだんだんと町の東側で遊ぶことが多くなったし、東の山に登ってみたりもした。
高校生までの18年間、僕はこの山で囲まれた町で過ごした。
大学進学とともに、僕はようやくこの町から出ることになった。新しい町は大都市とはいえないけど小さくもないという地方都市で、大学の間はそこで暮らした。
それはもう全く違う世界だった。家の近くに24時間営業のコンビニがあり(山の中のコンビニは22時に閉まっていた)、ガストがあり、マクドナルドがあった。今でも豊かな町というと、24時間営業のジャンクなお店たちを思い浮かべるのはこの時の感動が大きい。僕にとっての自由の象徴なのだ。
新しい町で暮らすと同時に、今に至る長い一人暮らしが始まった。それまで僕はとにかくテレビゲームを思う存分やりたかったが、いざ膨大な時間が出来てみるとゲームはそれほどやらなかった。それよりもインターネット上の個人サイトや2ちゃんねるなどに興味が移り、ネットをしている時間が一番長いという、これまた今に至る生活が始まった。
そんな大学生活は色々あったが総じて楽しかった。
そんな大学生活が卒業間近になっても就職活動はしなかった。この頃は就職氷河期だとか言って新卒の行く末を憂う話も多かったと思うが全く興味がなく、近くの家電量販店とかでレジとかやって平穏に暮らせばいいやと思ってた。
そんな感じで全く就職活動をしなかったら研究室の教授がマジギレしてしまった。しかたなく大学で求人を探すと、情報系の学部だったので中規模SIerの求人があった。ちゃんと就職活動してましたよというアリバイを作るために受けてみたのだが、なんと内定が出てしまった。
そのSIerは全国の主要都市に支社があり、僕は愛知県で働くことになった。
当然のことながら愛知になんて知り合いも一人もいないので、ここで生まれて初めて孤独の味を味わった。とにかく遊ぶ人がいないので、毎日深夜まであてもなくドライブをしていた。
といいつつ孤独を噛み締めていたのもわずかな間で、ちょうどそのころニコニコ動画が始まったり、先輩にFF11に誘われてやってみたり、先輩に大量のアニメのDVDを借りてみたりしているうちに、すっかりネットの住人になってしまい、孤独を感じることもなくなった。
もともと超適当に働き始めたわりには仕事は順調で、入社3年目くらいにはチームリーダーのようなポジションになった。
でも家に帰ったらひたすらインターネットをしていて、インターネット愛してるという状態にまで極まってしまった僕は、SIerを辞めてWeb系で働こうと思った。そのころ東日本大震災が起こり、日本社会の混乱の中でいよいよインターネットが新しい社会を作るという機運も高まっていた。
とりあえず会社を辞めてニートになった。送別会の挨拶で「次はどうするんですか?」と聞かれて「ニートになります」と答えたらけっこうウケた。
ニートになってからというものずっとFF11をやっていた。寝るか、コンビニに行くか、あとはFF11をやっていた。
半年ほどFF11をやってコンテンツをやりつくしたので働くことにした。SIerでの働き方はサラリーマン的でストレスフルだったので、就職するのは「Web系/小さな会社/スーツ着ない/東京」という条件で探すことにした。ここでも条件を満たす会社を適当に受けたら内定をもらったので、今も働いている会社に就職することになった。
そんなわけで東京での暮らしが始まった。僕にとっては4つ目の町が東京になった。東京での仕事も順調だった。いくつかの大きなWebサービスに携わることが出来たし、職場環境も目的としてたWeb系のやつそのものだった。
そんなある日ふと、小学校の頃に東の山の向こう側にある東京に憧れていたことを思い出した。当時はすでに色々なWebサービスが生まれていて、その中にGoogle Mapという地図のサービスがあった。
そこでGoogle Mapであの町の東の山の向こう側をみてみた。そこには今ようやくたどり着いた大都会東京があるはずだった。
東の山の向こう側にあったのはまかいの牧場だった。
初期ラルクアンシエルの映像をYoutubeで探してみた
Sometime Before I
Kenちゃん加入前のラルク。当時ギタリストのhiro脱退とともにhiro曲は封印されてるので、知らない曲が多い。www.youtube.com
Sometime Before II
Kenちゃん加入後。DUNEリリース半年前。www.youtube.com
SONIC GIG
Sakura加入後。DUNEリリース直前。www.youtube.com
L'Arc~en~Ciel - CLOSE BY DUNE
DUNEツアー①。White Feathersの前段階のものをやってるのが面白い。www.youtube.com
L'Arc~en~Ciel - FEEL OF DUNE
DUNEツアー②。www.youtube.com
ノスタルジーの予感
メジャーデビュー直前。White FeathersのPV的なやつ。www.youtube.com
L'Arc~en~Ciel - In The Air Tour Sense of Time '94
メジャーデビュー後。Tierraツアー。www.youtube.com
L'Arc~en~Ciel In Club '95
www.youtube.comL'Arc~en~Ciel The other side of heavenly '95
Heavenlyツアー。www.youtube.com
L'arc-en-ciel Heavenly ~films~
Heavenlyツアーfinal 日本武道館を中心にした映像集。www.youtube.com
L'Arc en Ciel - Carnival of True eve
Trueツアー。www.youtube.com
the Zombies
復活直前の活動映像集。www.youtube.com
L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION
Yukihiro加入。復活ライブ。www.youtube.com
新型コロナウイルス所感
時は西暦2020年春、新型コロナウイルスCOVID-19が話題だ。ウイルスに関連する情報もなかなか錯綜していて、大したことないという向きもあれば、まじでやばいという向きもある。
簡単にまとめると以下のような感じだろうか。
楽観的な見方
- 東京ではそこまで感染拡大はしない。せいぜいインフルエンザ程度の感染力で、そのうち暖かくなって収束する。
- 毒性が比較的低い。死亡率が数%。検査コストの高さから潜在的な感染者がかなりいることも考えれば、致死率はもっと低いと予想される。
- ウイルスそのものよりも、それによる中国人への差別的発言などの方が遥かに問題。
悲観的な見方
- すでに首都圏ではかなり感染が広がっていて、現在は潜伏期で2月末あたりに一気に顕在化する。最終的に6割程度の人が感染する。
- ウイルスの作用に未知の部分が多く、毒性についての噂が錯綜中。特に「ウイルスが免疫系を破壊する→再感染し、その際には症状が重篤化する」のあたりは本当ならやばいが。
- 死者5000万人超のスペイン風邪に匹敵する被害になる。
ざっとみてる感じだとこんな感じだろうか。特に「再感染」のあたりの話が本当だとすると、なかなかガチでやばい可能性もある。
まあいずれにしてもウイルスのこともよく分からないし、僕たちに出来ることと言ったら手洗いをしっかりするとか顔を触らないとかなるべく人ごみに行かないとか、そういうことしかない。そして風邪の症状が出たら外出しないというのが重要なことだとは思うが、おそらく政府側からそのような勧告が出ないと、自主規制は出来ないのかなと思う。
伝染病といえば昔は地方病というのがあった。山梨の甲府盆地あたりで流行した人がばったばったと死んでいく病。早い段階で、農作業をすると感染するというのが分かっていたにも関わらず、農民たちは引っ越すどころか農作業をやめることも出来なかった。
今回の新型コロナウイルスも人ごみに行かないことが最大の予防になるのだけれど、わかっていても仕事で都心に行かないというのは難しい。現代でも地方病と同じことになるのだろうか。
藤沢さんの以下のツイートは、このSNS時代の1つの問題点をなかなかついている。
日本は原発事故で(少なくとも高学歴層は)ほとんどのマスコミの危険を煽る報道はデマだったし、海外の政府の反応もただ過剰だった、実際は大したことなかった、と過学習してしまっていて、今回の新型コロナウイルス禍を過小評価してしまったのかもしれんね。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2020年2月14日
「過学習」というキーワードを持ち出してくるのは藤沢さんのインフルエンサー的なセンスの良さだろうか。
東日本大震災から始まった日本のSNS時代は、厄災に対する注意喚起祭りとして始まった。たしかに地震と津波は未曽有の大災害だった。しかし以降の原発問題から続いたSNS上での様々な注意喚起は結果的にはかなりスベっていた。大多数の「私」に直接影響する未曾有の大災害や政治的な大問題などはそんな簡単には起こらないからだ。
原発問題以降の9年間を教師データとするならば、あらゆる問題を自分とは関係のない大したことのない問題として処理するのが、未来予測としては一番打率が高くなるという局所最適に陥り、問題を過小評価する。津波の教訓は最悪の事態を想定しようというものだったはずだが、それは10年経ってかなり薄れてきた。
たしかにこれはここ数年のSNSに対して薄々感じていたことではある。といってもまあ、逆に毎回毎回デマとか差別的発言とか大発生というのもたしかに問題なのかもしれないし、このバランスをとるというのはなかなか難しいことだ。まあでもせっかくこんな時だし、体調が悪かったら出勤しないくらいはしてもいいのではと思う。
このウイルスについて、うちの両親は田舎暮らしだからまあ大丈夫かなと思うけど、都心にいる僕や知人たちはどうなるかな。まあなんとなく致死率とか見てる限りは20代~40代くらいの大人ならちゃんと静養すれば大丈夫っしょという感じでいたが、再感染の話次第かなあ。
さいたまスーパーアリーナすごい / ラルクアンシエル MMXX
ラルクが今年に入ってからめっちゃ久しぶりにツアーをしてて、それのさいたまスーパーアリーナ公演に2日間行ってきた。
前回のラルクリはクリスマスライブということもありラルクの中でもポップスな部分を強調していたけど、今回のツアーは音響含めてラルクのロック面を強く押し出す感じの演出になっていて、これはこれでめっちゃよかった。
あと僕はラルクのREALというアルバムが好きなんだけど、MMXXではREALの曲が4曲も入っていて個人的にはめっちゃ熱かった。LOVE FLIESとか、20年前の東京ドーム公演の時のギターの音が壁に反響してる感じとか今でも憶えていて、本当に好きなんだよねえ。
ところで、さいたまスーパーアリーナはステージのタイプがいくつかある。
MMXXではステージがアリーナ中央に配置されていて、客席がその周りを取り囲むというセンターステージというやつだった。そしてこのセンターステージがびっくりするくらいよかった。
3万人の客が入っていたようなので規模感としてはドームと同レベル。ドームでのラルクのライブというともうステージは遥か彼方で、オペラグラスでもないとバンドメンバーはほんとに小っちゃくて動きなんかはとても確認出来ない。
それがこのさいたまスーパーアリーナのセンターステージは3万人入るのにも関わらず、後ろの方の席でもステージがめっちゃ近くて肉眼で表情まで確認出来る。バンドメンバーが最後方の客に向かって「座ってるやん!」とか「スマホいじってるやん!」って突っ込めるくらい近い。
演者としては、センターステージだと360度全方位に対して演出しなければならないという制約がけっこうきついとは思うけど、またさいたまスーパーアリーナのセンターステージを観てみたいなあ。さいたまスーパーアリーナは本当によかった。
ところでラルクアンシエルは今月で結成29年目に突入。これだけ持続しているバンドの力というのはなかなかすごくて、客層も小さい子供から学生、社会人、おばあちゃんまで多種多様。ボーカルのHydeは小さな哲学者で、ここまで多様なファン層を獲得している変なバンドになったのは彼の力だろう。
あと僕がギター始めたのは学生の頃にラルクのKenちゃんかっこええなあーと思ったからだけど、その頃はまさか20年後に目の前でKenちゃんがギター弾いてるのを観ることになるとは、思わなかったなあ。
ここまで来るとメンバーへの想いは「みんな長生きしてね」みたいな感じになってきてもうよく分からないのだけれど、とりあえず来年の30周年は楽しもうという感じで。
論理哲学論考 / ウィトゲンシュタイン
ウィトゲンシュタインの論理哲学論考を読んだ。
- 作者:ウィトゲンシュタイン
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/08/20
- メディア: 文庫
ウィトゲンシュタインは人文系の中ではなかなか難解と言われることが多いかもしれないけど、これはむしろ理系(特に情報系)の人の方が読みやすいかもしれない。
これは「語られるもの」と「語りえぬもの」の境界についての本で、つまり人が考えることが出来る範囲の境界についての本で現代の情報科学的な見地からするとわりとすんなり咀嚼出来る内容だと思う。
語られるものと語りえぬものとの境界について、僕の解釈ですごく簡単に書くと以下のようになっていると言っている。
①世界は成立している事態で成り立っている。つまり世界とは人が知覚した物事の総体である。
②事態の中で、それ以上分割出来ない事態の最小単位を原子事態と呼ぶ。
③事態に対して人は言葉を与える。それを命題という。特に原子事態に対応する言葉を原子命題という。
④複数の命題の組み合わせとしても、別の1つの命題が作られる。
④「考える」というのは、命題の「真偽」を判定することである。
命題というのは言葉のことだと思っていいと思う。最も単純な原子命題は「空」とか「青」とかであり、これらを組み合わせた「空は青い」も命題という。
考えるというのは、命題の真偽、命題が成立するのかしないのかを判定すること。つまり、考えるというのは真偽関数のことである。
プログラミング言語で書くと以下のように書ける。
func meidai(meidai ...bool) bool { : : // 与えられた命題(true or false)の組み合わせから真偽値を導く : return true //or false }
命題の真偽とはどういうことか。「空」とか「青」とかの原子命題は、成立している事態そのものに対応しているのでtrueだろう。それらの組み合わせ「空は青い」もtrueであろう。しかしtrueである原子命題の組み合わせが必ずtrueになると限らない。たとえば「空は黄色い」は「空」と「黄色」というtrue同士の組み合わせだがfalseになる。
「魔法はある」という空想はfalseの命題として表現出来る。
もちろん命題のtrue/falseが一意に決まるわけではないだろう。たとえば「オタクはキモイ」というシンプルな命題でも、trueにするのかfalseにするのかは簡単には決まらない。(このように一意で決まらないような命題はナンセンスであり、そのような命題が出来てしまうのは言語(原子命題)の問題であるような事も書かれている。)
さらに、「空は青い」という2つの原子命題を組み合わせた命題と、「晴れ」という別の命題とを組み合わせて「晴れた空は青い」という命題が作られる。「晴れた空は青い」はtrueで、「曇りの空は青い」はfalseである。このように命題同士は互いに結合してあたらしい命題が生まれる。
原子命題はたくさんあり、それらを任意に組み合わせた命題となると膨大の数がある。しかもどのようにも命題を組み合わせて新たな命題を生成可能である。
考えるというのは、そんな無限と思えるくらいにたくさん存在する命題についてその真偽を判定することである。
逆に言えば命題として表現出来ない事は考えることが出来ない。あらゆる命題は分解していけば原子命題の組み合わせになるので、原子命題の組み合わせとして表現出来ないことは考えることは出来ない。原子命題というのは単純な事態に対して与えた言葉なので、人は「言葉の組み合わせとして表現出来ないこと」は考える事が出来ない。
それが「語られるもの」と「語りえぬもの」の境界。
論理哲学論考はそんな感じのように読んだ。この本のすごいところは、この内容で20世紀初頭に書かれたことだろう。
「真」と「偽」の2値と、それらを組み合わせて別の「真」と「偽」を導く。それこそが「考える」ことだとウィトゲンシュタインは言っている。これは、0と1の2値と、論理演算「AND OR NOT」だけであらゆる計算を行うコンピューターの発想そのものである。
ちなみに、後にウィトゲンシュタインはこの論理哲学論考の結論を否定したりするようなのであしからず。次は哲学探究を読もうかな。言語ゲーム。
芸術について
近頃は芸術について考えることが多い。
週末に暮らしの夢展というのに行ってきた。
それにあたって少し予習しておこうと思ってモダンデザインについて色々見ていたのだけれど、モダンデザインの成り立ちは非常に興味深かった。
モダンデザイン(近代のデザイン)という言葉からは比較的最近のデザインのことなのかと感じるけど、そもそもデザインという概念は近代から始まっているようだ。だからモダンデザインというのはデザインの元祖なようだ。
近代という時代は産業革命とともに始まる。そしてデザインもまた産業革命に伴って生まれる。
労働の工業化に伴い、物は大量生産される時代になる。それに伴って僕たちは労働者になった。僕たちは商品を大量生産するシステムの一部になって、粛々と目の前の業務をこなしていく。
大量生産以前の世界では、僕たちはみな小さな芸術家だった。それぞれ仕事の成果物にはそれをやった人の個性が表現されていた。
大量生産以降の世界では、僕たちは労働者になり、交換可能な存在として扱われ、成果物からは誰が作ったかはとても読み取れない。むしろ、その仕事を誰がやっても同じに出来るようにマニュアル化することが重要だ。
そんな大量生産の時代に、ある人達はこの状況は人々の心をダメにすると考えた。そこで、大量生産される無機質な商品に対してデザインを加えて(デザインの誕生)、商品を再び芸術作品に近づけて、労働者が再び芸術家に近づくことを指向した。
↑というのが、けっこう心に残った話。まあけっこう盛ってる話で意訳も多い。
この話の面白いところは、芸術の必要性を別の角度から見ているところだ。一般的に「芸術は人生を豊かにする」と言われていたりもするけど、それは「芸術作品」を「鑑賞者」として鑑賞するという意味合いだろう。
実際のところ、今の時代にクリエイターと呼ばれるのは、文学を書いたり、絵を描いたり、音楽を作ったりと、とても限定的な職業に限られている。芸術家と労働者との間には線引きがある。
しかし芸術の必要さというのはそういうことではないのではないか。本来、僕たちの仕事や生活には芸術的な要素がたくさん詰まっている。あの人がやったからこういう結果になる、ということがたくさんある。ある時期まで、僕たちはみな芸術家だった。
しかしたとえばボタン一つ押すだけで誰でも洗濯が出来るようになれば、洗濯からは芸術性は失われる。そうやって、テクノロジーの発達とともに僕たちの人生から芸術というものは奪われていき、芸術家と労働者とは完全に分離され、なんとかかろうじて鑑賞者として生き延びている。
思い立って芸術家になろうと思っても、絵を描くだとか音楽を作るだとか定型的な選択肢に突き進み、そしてそれは全人口から比べたらとても狭い門だ。
僕は趣味で作曲をしたりしてたから、どちらかというと物を生み出した時の感覚を知ってる方じゃないかと思うのだけど、その感覚を、みなが日々の暮らしの中から得られる社会になったら素敵なことだと思う。その1つの試みとしてのモダンデザインというストーリーは、とても良い話だなあと思った。