接続過剰

千葉雅也さんのアメリカ紀行を読んでいる。

アメリカ紀行

アメリカ紀行


まだ途中までしか読んでいないので、おいおいこの本の感想も書くかもしれない。


それとは別にこんな話題が目に入った。

note.mu


ツイッターの空気が変わっちゃってしんどいのでもうやめたー的な話。まあ、よく聞く話。


千葉さんのアメリカ紀行に猫カフェの話が出てくる。どうやら日本人は猫でメンタルを癒しているようだ、しかも実際に回復効果があるっぽい、というような議論がアメリカでされていたという話だ。千葉さんは、日本人のストレスは他者との接続過剰が原因にあり、気まぐれな猫がもたらす気まぐれな接続と切断の体験がストレスを解消しているのではないか、というような感想だったようだ。


ツイッター変わったの話題を見た時に、この猫の話が頭に浮かんだ。


僕の感覚では、10年ほど前のインターネットというのは切断の場だった。つまり、他者と接続過剰になっている現実社会があり、そのような過剰な接続を一旦切断して自由にしてくれる場所としてインターネットは機能していた。


ただ、東日本大震災を契機にして現実社会が次々にインターネットに入り込んできたこの2010年代を経て、今のインターネットは接続過剰をより促進する場になったのだと思う。まあ、インターネットの仕組を考えれば、接続の促進というのがネットの本来の姿だったのだろう。そして切断する体験を求めて猫カフェに行ったり猫の動画を見まくるみたいなことになっている。


”一旦”切断する場所を作ること。接続過剰を回避する術を身につけること。そのためにツイッターをやめたり猫の動画を見まくるのもいいけど、もう少し別の仕方もあるのかもしれない。僕としては、ツイッターに関しては徹底的に自由に呟くことを意識するようにした(そしたら少し楽しくなった)。