新型コロナウイルスについての所感3

つらつらと。


新規感染者数とかについて

自粛の効果のおかげか新型コロナウイルスは感染者数の爆発的増加には至っていない。東京都は相変わらず高い陽性率を保っているが、お近くの埼玉県では効果があがっていて特に発症日ベースで見ると感染者数の増加は明らかにピークアウトしているという報告もある。


ところで、最も重要なのは医療リソースが足りるかどうかで、感染者数というのはその因子にすぎず、日によってばらつきもあるので一喜一憂しないのがいいだろう。


4月下旬で死亡者数が指数関数的な増加を始めるのかは不謹慎ではあるが注目してしまうポイントだろう。BCG仮説などの通り何か見えない力で死亡者数が抑制されるようなら、日本人としてはずいぶん安心であるが、僕としては懐疑的である。



政府からの給付金について

30万円配るとか、いや10万円配るとかが話題だが、そもそも一律の給付金は目的が不明である。経済的な影響が直撃している人にとっては10万円では今月の生活費にもならないし、消費喚起という点では、いま打撃を受けている業界は消費者にお金がないから消費に回らないのではなく、ウイルス回避のために消費を避けているのだ。そこに対してお金を配るというのは、「金を使うな」という命令と「金を使え」という命令を同時に出しているようなもので矛盾している。


そのお金はこれから激増が予想される生活保護や失業保険の財源にまわすのがいいだろう。まあもっとも、日本では「財源」という概念自体がずいぶん捻じ曲がっているので、多くの人がお金なんてその気になれば無限に生み出せると思っていそうではある。実際そうなのかもれいないし、そうじゃないのかもしれない。


ウィズコロナ

収束しない世界で新しい社会の形を目指すというのは魅力的な提案だが、現実ではウィズコロナの世界はとても厳しい。

mainichi.jp


これは本当に信じられない事件である。


国内ですら地域差別が起こっているのだから、外国人には本当に厳しい世界になるだろう。ウィズコロナとは観光客不在の世界である。そして観光客というのは世界平和の象徴である。観光客とお金と商品とが世界中を血液のように循環するグローバリゼーションの世界では大きな戦争は起きないだろうと思っていたが、それがどういう動きになっていくのだろうか。僕がオリンピックに基本的に賛成なのは多くの観光客の循環を生み出すからだが、2021だか2022だかにオリンピックが開催出来るかはかなり難しい状況ではある。


差別の観点でもう一つ大きな気がかりは、感染済みの人と未感染の人とで社会的な立場が大きく変わるという懸念だ。感染済みの人には自由に移動する許可を与えて経済を回してもらおうなんていう話もちらほら目にするが、そんなことはとても許されない差別であり、もし実施されたら特に若者は我先に感染したがるだろう。


まあ、とりあえず夏になったら全部解決するというワンチャンねらっていこ。


ウィズコロナで人々が日陰で暮らす陰鬱な世界になるのならそれはそれで面白そうではあるのだが、実際にウィズコロナで失われるのはこの社会の日陰の部分であり、移動の自由が制限され人々が道徳と規範とに支配された、より明るい昼の世界になりそうだ。


一番忘れがちで最も重要なことは、新コロちゃんに全員が感染したとしても(少なくとも若年層は)圧倒的に多くの人が生き残るという現実だ。