バラバラの世界を諦める

インターネット以降の多対多の世界で、僕たちはバラバラに存在しながらゆるく繋がって社会を構成していく。そんな風になったらいいなと思っていた時期が僕にもありました。画一的だった10年前の日本社会において、インターネットはまさにそういう希望だった。


しかし10年経ってどうなったかというと、人と人とのつながりの強さが「いいね」や「リツイート」数によって数値化されある種のスコアになり、バラバラにネット上に生まれてきた存在は急速にクラスタリングされ、今ではすっかりクラスタ同士の分断が進み、いくつかのクラスタ同士のせめぎ合いの世界になった。クラスタ内で他のクラスタを揶揄する大喜利をやって、いいねやリツイートをぐるぐる回して、より強固な結びつきとより深い断絶を生み出し続けている。


せっかくネットが出来たのにまたクラスタとか本当にうんざりするのだが、今ではもうこれらのクラスタをバラバラに分解するのは不可能なのではと思っている。だから次善の策というか、こうなったらいいなというのを考えたい気分。


僕が思う次善の状態はインターネットのハードボイルドワンダーランド化である。(話があやしくなってきました)


クラスタ間の争いが起こった時に問題なのは、もしかしたら相手は会社の隣の席に座っている人かもしれないのに、そのコミュニケーションからあらゆる礼儀が失われてることだ。なぜ礼儀が失われているかというと、反撃を受け付けない構造をつくって争いを始めても痛くならないようにしているからだ。特に某山本さん擁するオタククラスタは無敵状態でネット上ではやりたい放題だ。ネット上での誹謗中傷の嵐を見ていて、けっきょくのところ礼儀というのは争いを起こさないためのツールで、争いを起こさないというインセンティブがないと起動しないという知見を得たよ。


僕が思うハードボイルドワンダーランドというのは、要するに分かりやすい喧嘩両成敗の世界だ。そもそも実は今だって誰かと争いをして無傷なわけじゃない。他人を誹謗中傷するとコルチゾールが出てその身体は確実にダメージを受けている。しかしこのダメージは体内に潜在しているので本人は気が付かない。このまま無傷の争いをしていると各人がストレスに支配される世界になってしまう。だからこれを顕在化させる必要があり、そのためには殴ったら殴り返される分かりやすいハードボイルドワンダーランドの状態になるのが健全なのかなと思う。


今はインフルエンサーと呼ばれる人たちがだんだんとクラスタの重心として機能してきている。バラバラな理想状態を指向するならクラスタを作るインフルエンサー的なものを批判するべきなのだろうけど、ハードボイルドワンダーランドのためにはインフルエンサーが自由に振る舞えることが重要だ。ホリエモンやイケハヤやはあちゅうインフルエンサー達は新しい生き方を目指して精力的に活動しているし、この人達がクラスタの重心としていろんな方向性を持ったクラスタをたくさん作っていくのがいいんじゃないかと思っている。


それで、各々のクラスタが殴られたら殴り返せるくらいの影響力を持って、オタク帝国になっている今の状態を崩して、たくさんのクラスタが乱立している戦国時代のような準バラバラの状態を理想とするのである。これをハードボイルドワンダーランド化と呼ぶ。


クラスタの乱立状態が出来上がると、クラスタ間の関係にグローバリゼーションのようなものを導入できるはずだ。つまり他のクラスタへの観光である。今はクラスタ間の分断が大きいが、クラスタが乱立している状態では価値観の近い隣のクラスタ、そのまた隣のクラスタみたいな輪が作られて、人はクラスタの間を気軽に移動出来るようになるのだ。


この状態になるとクラスタ間抗争はかなりの複雑さを持つことになり、今のようなシンプルな争いは出来なくなり、ようやく我々はコルチゾールから解放されるのだ。