「老害」について

老害」というのはSNSの台頭と共に非常によく聴くようになった言葉。年配者が若者に意見をすると「老害」といってウザがられる。あるいは最近では、高齢者が子供を交通事故で死なせてしまうのがどうしても許せず、高齢者全員から免許をはく奪するべきという極端な意見がまかり通っている。


また、最近ツイッターの一部ではこんなのが話題だ。

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これについて説明すると、「なうちゃん」というツイッターアカウントがある。中身は50代の男性だが、美少女キャラクターをアイコンにし、独特の口調で社会について色々と発信している。このアカウントがけっこう人気なのだ。上記の記事は、ろくでなし子さんがそんな「なうちゃん」にぴったりなアイコンあるでということで、50代のおじさんの絵を提案してから本人の目にふれて色々と騒ぎになってるものだ。これは50代のおじさんを、50代のおじさんであるということで嘲笑しているとみられてしょうがないだろう。


老害という言葉の流行」「高齢者免許はく奪」「おじさんをおじさんということであざ笑う」というようなことは、根っこで全て繋がっているのだろう。


僕としては、これらの現象は近年ネット上で猛威をふるっている個人主義の副作用だと思っている。個人が個人として生きるという個人主義。学校に行かなくてもいいし、結婚しなくてもいいし、好きなように生きればよいというものだ。このような考え方は、20世紀後半から2つの世界大戦へのアンチテーゼとして、哲学的な主流の1つとして扱われ始めた。


これはなかなか魅力的な姿勢だが、この考え方には歳を取ると破綻するという問題があるだろう。50代くらいになってくると多くの人が個人的な目標が見いだせなくなってくる。親の介護もしなければならない。自分が病気になれば周囲の人達に世話にならなければならない。もっと体が動かなくなれば何かの施設に入らなければならない。


このように加齢により徐々に生活がアンコントローラブルになっていく事に対して、個人主義は無力である。いや、無力どころか、むしろ個人主義的価値観からするとこのような状況は失敗であり不幸である。つまり、現代の僕らは今まで以上に歳をとることを恐れている。「自分が歳をとったら孤独に死ねばいいだけ」というような発言もネットではよくみられるが、象徴的だろう。


まあ、もちろん老後の事を考えてばかりで、レールの上から逃れられない人生というのも生き難い。まあ、それはそれとして、「老害」という言葉が流行し、高齢者から免許をはく奪しろと騒ぎ立てている背景には、僕たちの老いに対する大きな恐怖があるのだろう。