不買運動について
ユーチューブを観ていたらこんな動画がレコメンドされてきて、なんとなく観ていた。
このスタジオのコメンテーターたちは「ファミマのお母さん食堂問題の不買運動」には賛成だが「三浦瑠璃出演問題のアメプラ解約運動」には反対だという。そこにひろゆきがどちらも同じことやってるのに何をダブスタなこと言ってるのとつっこみを入れて、コメンテーターたちがあたふたするという、そういう番組。
しかしこの番組をみていて不買運動について考えるところがあったので、ちょっと書いてみる。不買運動について僕が考えているの以下のことだ。
上記の動画の中で「市場原理にまかせよう」という話が何回も出てくるが、その意味はあまり考えられていないように思う。
市場原理にまかせるというのには僕も賛成である。しかし市場原理にまかせるというは不買運動を回避するということではない。もっと全体を俯瞰した状況、つまり実際の売上や契約者数の推移を見て考えるべきである。
「三浦瑠璃出演問題のアメプラ解約運動」を例にする。この問題でSNS上で解約運動を起こすのは熱心な三浦瑠璃アンチである。そしてこの解約運動に反対するためにSNS上で戦いを挑むのが三浦瑠璃ファンである。このような場合、SNS上では50vs50の白熱した議論が繰り広げられているように見える。SNSの半分は解約運動推進の人達で、もう半分は解約運動反対の人達で、めちゃくちゃ論争しているように見える。しかしそれは錯覚である。実際にはアンチもファンも極少数の存在であり、ぼんやりしたグレーな人達が目には映らない圧倒的多数として存在している。
このグレーな人達こそが極めて重要な存在である。それは民主主義というシステムにおいて「議論」よりも「投票」が重要であることと同じである。議論が好きなインテリたちよりも、グレーな人達の意思決定こそが最も正しいというのが民主主義の基本的な発想だ。
政治ならグレーな人達の意思表明は投票だが、企業が意思決定する際にグレーな人達の意思をすくい上げることが出来るもの。それこそが市場原理であり、実際の契約者数や売上の推移などを注意深く見守るべきである。SNS上で声の大きい人たちの言ってることを真に受けてはいけない。SNSはとても民主的なツールに思えるが、その場所は議論が投票に勝っている場であり、民主的な正しさが著しく損なわれている場なのである。