無差別殺人

無差別殺人が起こると様々な原因の憶測が飛び交うが、根本的な原因は、人間社会を構成する我々だれもが殺人事件を起こす能力を持っているということだろう。落ち着いて考えるとなかなか怖い話ではあるが、無差別かつ自己犠牲前提であれば10人程度殺傷する能力をほとんどの人が持っているのだ。


おそらく他の動物ではこうはならないだろう。強いものが弱いものを殺傷することはあっても、個体の強弱に関わらず誰もが同時並行的にその能力を持っているのは異常な生態系だ。これは道具の力によるものだが、ある意味全ての人が暴発する可能性のある爆弾のようなものである。


僕たちの行動はホルモンバランスに支配されている。ホルモンを自分で制御することは難しい。ホルモンバランスの崩れで鬱病になることを自分で止めることが難しいことは広く認知されてきているだろう。それと同じように、強いストレスが継続的にかかるとストレスホルモンが過剰に分泌され自制が効かなくなり、爆弾に着火する可能性を誰もが持っている。


一昔前、我々のストレスは全体主義によってコントロールされていた。全体主義の中では各個人にかかるストレスは安定しているが、ひとたび号令がかかれば我々の爆弾は一斉に点火され、巨大な戦争が起きていた。欧米諸国はこれを深く反省し、個人主義に向かった。個人主義の世界では爆発の連鎖は抑えられたが、我々にかかるストレスはアンコントローラブルなものになった。私にどのようなストレスが襲い掛かってきているのかは、もはや私自身にしか分からないし、未来も予測出来ない。だから誰の爆弾がどのような形で爆発するのかは、もう本当に分からない。


我々全員が爆弾であり、いつ誰に着火するか分からない。そのような世界をどう設計していくのかはまだ誰にも分からないが、おそらくストレスをある程度コントロール出来るようにする方向に向かうだろう。神を復活させるか、国家を復活させるか。



ところで、ストレスは人から人へと伝染する。文字を見ただけで、声を聞いただけで、画像を見ただけで、ストレスは伝染する。だからなにか大事件が起きた時にはSNSはほどほどにして、よく寝るのがいいだろう。