青の青さらしさと、+のプラスらしさについて

ゲンロンカフェで東浩紀さんと茂木健一郎さんとの対談イベントがニコ生で配信されていた。この対談は一時期シリーズ化されていたものだったのだけれど、茂木さんが過去回で暴走しまくったわりに中身がほとんどないというのを繰り広げた(それはそれで面白かったけど)結果、間が空いて今回3年ぶりの開催になったようだ。

一応、12月1日までタイムシフトで見れるはず。




感想から言うとこの配信はとても面白かった。茂木さんの過去回の中身がほとんどなかったのは、茂木さんがオーディエンスやおそらく東浩紀さんに対してもバカだと思っていて、そのため何を聞かれても本音を話さないというのを延々と繰り返していたからだ。ただ、2019年になって、おそらく茂木さんの中にも世間に対する絶望のようなものが生まれて、東浩紀さんに共感するところが出てきたのか、今回は少しだけ考えていることを話してくれるようになり、それがめっちゃ面白かった。


イベントの途中で、東浩紀さんと絶縁状態の津田大介さんに電話してみたりと色々と神回感も漂っていたが、この配信のハイライトは深夜一時もまわったラスト一時間ほどだろう。


特に最後の話題は面白かった。その場にいる全員が酔っぱらっていて時間も深夜、かなりまったりとした空気の中で「+のプラスらしさとクオリアとの関係について」という質問が観客から飛び出したのだ。この話題に、配信のラスト30分ほどかけられたのだが、この30分のために1000円払ってもいいくらい良かった。

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ここでは、「+のプラスらしさとクオリアとの関係について」というこの質問の意味について、少し解説に挑戦する。


今やクオリアといえば茂木さん、茂木さんといえばクオリアなのだが、クオリアというのは主観的な感じ方のことだ。僕たちは青い空を見るとそこに「青さ」を感じる。赤いいちごを見ると「赤さ」を感じる。色にかぎらず、この種の主観的な感覚をクオリアという。


青の青さらしさ、青いものを見て青いと感じる感覚、というと何を当たり前のことをと思うかもしれないけれど、この当たり前の感覚がどのように生まれているかは科学的にも哲学的にも解明されていない。このような主観的な感覚とはいったい何なのかというのを研究しているのが、茂木健一郎さんなのだ。


一方の「+のプラスらしさ」について。僕たちは「+」の記号を見るとプラス(足し算)の記号だと感じる。「+」がプラスだというのは人が作った数学のルールなのだが、とにかくそこには「+のプラスらしさ」というルールに従った感覚が存在している。


ということで、「+のプラスらしさとクオリアとの関係について」という質問の意味は、ルールによって作られる感覚と、青の青さという主観的な感覚とはどのような関係になっているのかということだ。それらは同じものなのか、違うものなのか。ちなみに、ルールに従って考えることをゲームという。


質問の内容としては上記の通りなのだが、この話をもう一段面白くするための知識がプラスクワス問題。


足し算のやり方の基本は「1+1=2, 1+2=3, 1+3=4....」という具合に小学校で教わる。小学校、中学校、高校と様々なプラスを使う問題がテストで出題され、先生にその答えが合ってるとか間違ってるとか言われて、プラスの計算が出来るようになる。


ここには1つの疑問が残る。「僕と他の人とは本当に同じルールに従って足し算をしているのか?」という疑問だ。テストの足し算問題を全てパスするような足し算のルールが複数存在する可能性。1+1という問題が出題された際、僕がプラスの計算をしている時に、彼は「クワス」という別の計算をして「2」という同じ答えを導いているのかもしれない。だから今までに見たこともないような「+」の問題、「3343243242342413 + 54285478945798432574」みたいなやつを解くと、僕と彼とでは(計算ミスではなく)別の答えが出るのかもしれない。


というといかにも思考実験的だけど、プラスのルールを完璧に定義することは出来ないことは数学的に証明されている。だからクワスの存在を否定することは出来ない。そしてそれは「+」に限らず、ルールというのは全般的にその内容を100%定義することが出来ない。


従って、ルールというのは何かの契機に変わってしまう不確かなものである。ある日突然、クワスと出会うかもしれない。もしもルールが変わってしまったら、「+のプラスらしさ」という感覚も変わってしまうだろう。


ではこれをふまえて質問に戻る。「+」のプラスらしさとクオリアとの関係について。もしも「+のプラスらしさ」というルールに従った感覚と、「青の青さらしさ」という主観的な感覚が同じものだとすると、僕の中の主観的な感覚とはいったい何なのだろうか。「青の青さらしさ」にもクワスが存在するのだろうか。